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「義足は僕の個性だ」孤高の障がい者ゴルファーのプライド

2022/06/13 16:10

◇国内男子◇ASO飯塚チャレンジドゴルフトーナメント◇麻生飯塚GC (福岡)◇6809yd(パー72)

それまでの日常は突如として別のものになった。23歳だったあの日、吉田隼人の悲劇はアルバイト先の飲食店への道すがら、通勤途中に起こった。バイクで走行していたところ、横からタクシーに突っ込まれ、激しく横転した。「骨が折れた」と思った右足は車体と電柱に挟まれたまま大腿部で曲がり、筋肉の一部がかろうじてつながっている状態だった。

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病院に搬送され、すぐに入院生活が始まった。期間は2年以上に及んだ。手術により一度はつながった右脚はその後、細菌に侵され、洗浄を繰り返したがいずれ骨髄炎を引き起こす恐れがあった。やむなく大腿を切断。下半身は片方が義足になった。

幼い頃から野球少年。大学時代まで白球を追いかけていた。ゴルフとの出合いは事故後のリハビリに励んでいた20代後半のとき。野球部時代の仲間に誘われて行った打ちっぱなしの練習場で、ボールを打つと夢中になった。

30歳で本格的に障がい者ゴルフの競技の世界へ。現在は都内のゴルフ場のマスター室で勤務する傍ら、昨年「日本障がい者オープン」を2連覇した。現在の世界ランキングは43位で、日本勢では38位の小山田雅人に次ぐ2番手。また、今年1月には日本プロゴルフ協会(PGA)のティーチングプロの資格を正式に取得した。

身体的なハンディキャップなどものともせず、ひたむきにゴルフに打ち込む姿は、人生を謳歌しているようにすら見える。吉田の場合、芯には障がいを抱えて生きることへの嘆きよりも、喜びがあるという。「僕は事故の時に足が“もげている”のが分かり『死ぬかもしれない』と思った。だからむしろ『生きていて良かった』というのが根本にあるんです」

人間は体内から3分の1が出血すると血圧が低下してショック死に至るという。事故現場で吉田の鮮血はすでに3分の2が流れていた。それでも一命を取り止めたのは、意識を失わず、その場で自ら行った応急処置によるものが大きかった。当時はちょうど消防士を志して資格取得を目指していた時期。激痛に耐えながら、腰のベルトを外して自ら止血した。後から主治医に言われた。「あなたは、生かされたんだ」

「切断したときも、それまで2年入院していて『そういうこともあるだろう』と覚悟していました。リハビリ中も『足がなくなってもカバーできるような身体づくりをしていこう』と」。38歳になった今、夢は大きい。今年7月、全米ゴルフ協会(USGA)が初めて障がい者ゴルフの世界大会(USGAアダプティブオープン)を主催する。28年「ロサンゼルス・パラリンピック」での正式種目入りを目指したもので、障がい者スポーツへの理解が深い欧米のハイレベルな選手たちに、日の丸を背負って挑む。

「一番は障がい者ゴルフをたくさんの人に知ってもらえるように、僕はティーチングプロになった」と顔を上げて歩いてきた。「僕は事故だったけれど、先天的なものや、(後天的な)病気で足を失う方もいる。ただ、そうなってもスポーツができる喜びがある、障がい者も目指せるものがあると思ってくれたらうれしい。こういう人もいると世間に分かってもらうだけで、障がい者へのイメージを変えられるかもしれない」

稀有な人生で、支えにしてきたものがある。長い入院生活のあいだ、病室には別の患者が入れ代わり立ち代わり、短期で入院してきた。5歳ほど年上の、読書家の男性から授かった言葉が忘れられない。

「『吉田君は孤高であれ』と言ってもらった。『僕には君の苦しみは分からない。けれど、君は自分の思うことを突き詰めてやっている。人がどうこうではなく、自分が思い描いた通りにやればいい』と。僕の周りには同じ境遇の人はいなかった。だからこそ、自分がどうしたいかは自分で決めて、努力していかないといけない。誰にも頼れず、苦しいこともあるけれど、『何かを乗り越えるための強さを持っている』という、その言葉はすごく励みになった」。他人と競い合うのはゴルフのスコアだけで十分。生き方は誰と比べる必要もない。

日本のトップ障がい者ゴルファーが勢ぞろいした男子ツアー「ASO飯塚チャレンジド」のプロアマ戦。吉田の純白のゴルフパンツは片方が長く、もう片方はひざ丈に詰められていた。右ひざから下に伸びるのはもちろん、生身の人間の足ではない。

「義足は僕の個性だと思っている。どうせなら人に見てもらったほうが良い。誰かにカッコいいと思ってもらえたらうれしい。僕自身はオンリーワンで、それに自分のアピールにもなる。見てもらえるのはプレッシャーにもなるけれど、それに打ち勝ちたい」。プレーするのは観てくれる誰かのため。彼もまた紛れもないプロゴルファーだった。(福岡県桂川町/桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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