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ヨーロピアンツアー史上最高のシーズンを送った選手たち

これまでヨーロピアンツアーでシーズン6勝を達成したのは、たった4人である。

とはいえ、セベ・バレステロスコリン・モンゴメリーリー・ウェストウッド、そしてニック・ファルドはいずれもヨーロピアンツアーと「ライダーカップ」のレジェンドであり、そのエリートクラブがこの4人のレジェンドで構成されることに驚きはなかろう。

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セベ・バレステロス(1986年)

・ヨーロピアンツアー公式大会6勝

ヨーロピアンツアーで最も華麗な選手であった偉大なるセベは、その輝かしいキャリアのなかでツアー50勝を遂げており、今でも単一シーズンにヨーロピアンツアー公式大会で6勝を挙げたただ一人の選手としてその名を残している。彼はこの偉業を1986年に達成。さらに同年、その年に始まった公式世界ゴルフランキングで初めて世界ナンバーワンに上り詰めている。

すでにメジャーで4勝していたバレステロスは、ウォバーンで開催された「ダンヒルブリティッシュマスターズ」でイングランドのゴードン・ブランドJr.に2打差をつけて優勝し、1986年最初の勝利を挙げた。

その後、「キャロルアイルランドオープン」、「ジョニーウォーカーモンテカルロオープン」、そして「プジョーフランスオープン」と、見事3連勝を飾ったのだが、偶然にもこれらの勝利はいずれも2打差でのものだった。そして彼は「KLMオープン」でホセ・リベロに8打差をつけて圧勝し、その年の7月を締め括った。

「ランコムトロフィー」でその年最後の勝利を挙げたのだが、これはツアーの歴史のなかでも珍しい優勝となった。というのも、これは彼が単独で獲得したタイトルではなかったのである。彼とベルンハルト・ランガーは、ともに通算14アンダーで大会を終え、プレーオフが4ホール目で日没のため継続断念となったことで、両者優勝とすることが決まったのである。

コリン・モンゴメリー(1999年)

・ヨーロピアンツアー公式大会5勝、特別認可大会1勝

ヨーロピアンツアー31勝のコリン・モンゴメリー。1999年にツアー公式大会で5勝を挙げるなど最も実り多きシーズンとなった。さらに「シスコ世界マッチプレートーナメント」も制覇した。

1993年から1998年まで6年連続で年間王者となるなど、すでにヨーロピアンツアーで圧倒的な存在となっていたモンゴメリーは、1999年に7度目の年間制覇を達成した。

「ベンソン・アンド・ヘッジス国際オープン」を3打差で制してその年最初の優勝を飾った彼は、ウェントワースクラブでの「ボルボPGA選手権」を5打差で制すと、「スタンダードライフロッホローモンド」を3打差で制し、最初の勝利から間髪入れずに英国開催の2大会を制覇した。

1999年にツアー公式大会で挙げた勝利はいずれも圧勝だったが、極め付きは「ボルボスカンジナビアマスターズ」での勝利だった。バーセベックを「67」「67」「65」「69」でラウンドして大会を通算20アンダーで終え、2位のイェスパー・パーネビックに9打差をつけて優勝したのである。これは彼による同大会2勝目であり、その2年後には大会3勝目を挙げている。

その後、「シスコ世界マッチプレートーナメント」の決勝でディフェンディングチャンピオンのマーク・オメーラを3&2で撃破し、その年6つ目のトロフィーを手にした。

リー・ウェストウッド(2000年)

・ヨーロピアンツアー公式大会5勝、特別認可大会1勝

モンゴメリーによる記録的なシーズンの翌2000年には、リー・ウェストウッドがツアー5勝に加え、「シスコ世界マッチプレー選手権」を制覇する偉業を達成し、同シーズンの年間王者となってモンゴメリーによる歴史的治世に終止符を打った。

最近ツアー25勝を達成した8人目の選手となったウェストウッドは、1998年にも制覇した「ドイツバンクSAPオープン」でキャリア10勝目を挙げ、これまでで最も成功したシーズンのスタートを切った。

その後、「コンパックヨーロピアングランプリ」、「スマーフィットヨーロピアンオープン」、「ボルボスカンジナビアマスターズ」と勝利を重ねると、「ベルガコムオープン」ではエドアルド・ロメロに4打差をつけて勝利した。

モンゴメリーの足跡をたどったウェストウッドは、「シスコ世界マッチプレー選手権」の決勝でディフェンディングチャンピオンのモンゴメリーと対戦し、プレーオフ2ホール目でスコットランド人選手を撃破して大会を制覇した。

サー・ニック・ファルド(1992年)

・ヨーロピアンツアー公式大会4勝、特別認可大会2勝

メジャー6勝、そしてヨーロピアンツアー31勝を誇るニック・ファルドは、3度目の「全英オープン」制覇を果たした1992年にキャリア最高のシーズンを送った。

彼は「キャロルアイルランドオープン」でその年最初の勝利を挙げたのだが(これは彼による同大会3連覇のうちの2連覇目だった)、1992年シーズン出色の勝利は、ミュアフィールドでの2度目の勝利だった。優勝候補筆頭としてその年の「全英オープン」を迎えたファルドは、36ホールの最少スコア記録を更新し、3打差の首位で週末を迎えた。最終日はジョン・クックが首位に浮上する展開となるなか、ファルドは「人生で最高の4ホール」と語ったプレーを展開。15番と17番でバーディを奪うと、最終ホールをパーとし、1打差で激戦を制した。

その2週間後の「スカンジナビアマスターズ」で次のヨーロピアンツアー優勝を果たすと、「GAヨーロピアンオープン」ではロバート・カールソンに3打差をつけて優勝した。

これらの勝利に加え、ファルドはウェントワースで開催された「トヨタ世界マッチプレー選手権」の決勝でジェフ・スルーマンを8&7で撃破したほか、「ジョニーウォーカー世界選手権」ではプレーオフでグレッグ・ノーマンを下してタイトルを獲得した。

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