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松山英樹に聞きたい72のコト 【DAY1】~振り返るキャリア~

<Q10:明徳義塾高から東北福祉大へ進学した理由は?>

「高校に卒業したらプロになろうと思っていたんですが、3年生の時に『日本アマチュア選手権』で、予選ラウンド敗退してしまったことが気になっていました。そんな頃、東北福祉大の阿部靖彦監督が実家の愛媛まで来てくださって『今のままでは並のプロでしかない。プロになってすぐに活躍をしたいと思うなら、もっと練習を積み重ねなさい』と言われて、大学に行くことを決めました」

<Q11:大学時代に目標とした選手は?>

藤本佳則さんです(松山よりは2学年上。大学卒業後のプロ1年目、デビューから5試合目で国内メジャー優勝)。印象的だったのが高校の時に出た『日本アマチュア選手権』(2008年)。マッチプレーでぶつかって、最初の5ホールで僕が4アップしたんですけど、逆転負けしました。それからずっと尊敬するというか、『この人は別格だ』と思うようになりました。165cmと体が小さい?いや、そんなことはあまり感じなかったです」

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<Q12:2010年のアジアアマチュア選手権で優勝し、翌2011年のメジャー「マスターズ」の出場権を獲得。当時の気持ちは?>

「いやあ、試合前はマスターズに行けるなんて思いは一切なかったんです。変な話で、いまだから言えますけど…アジアアマの翌週に、日本オープンがあったので、そこに向けて良い準備ができたらいいなと思っていて…。海外の選手がたくさん来ていたこともあって、『勝てる』と本気で思った選手はいなかったんじゃないですかね。僕にしたら、藤本さんも出ていたので『まあ、この人に勝てなければ、マスターズに行けることもない』という気持ちでした。そうしたら『あれ、勝っちゃった。行けちゃうの?』ということに…」

<Q13:米国で初めてプレーしたゴルフ場は?>

「高校の時にハワイで初めてプレーしました。プロの試合ではソニーオープンinハワイ。『こんなに難しい芝で、よくこんなスコアが出るなあ』と思いました。あそこのバミューダ芝のラフは難しい。僕はバミューダ芝は、ラフよりもフェアウェイの方が嫌なんですけど、あそこはラフがイヤ。本土だと、練習ではロサンゼルス近郊のコースが初めてでしたが、試合では(2011年マスターズの)オーガスタナショナルGC。完璧に整備されていて本当にきれいでした。最近はポアナ芝が生えてきたりしているので、最初に出た時が一番きれいに感じたかな」

<Q14:東日本大震災の直後、初出場の2011年マスターズで、アジア人初のローアマチュア賞を獲得。どんな気持ちでした?>

「試合は意外と緊張しなかったんですよ。『初出場の選手は手が震えてティペグが刺せない』という話も聞いていたけれど、1番で普通に刺せました。普通にティショット打ってフェアウェイバンカーに入って…パーパットが一番緊張したかもしれないですね。最終日の表彰式では英語が話せないからどうしよう…と思っていました。勝つためにすべき準備のひとつだと今でも思います(※編注:当時の表彰式では『日本人選手がこの場所に立つ日が来るなんて…』と涙する日本人のカメラマンもいたそうです)

<Q15:同じく2011年の国内ツアー・三井住友VISA太平洋マスターズで優勝。アマチュア選手としては倉本昌弘、石川遼に次ぐ史上3人目のプロツアー制覇>

「最後のホールでイーグルを決めて勝ったんですが、外して2パットでも勝てていた状況で…。なんか、どうしていいか分からず、ガッツポーズも出なかったっス。一緒にプレーした谷口徹さんに『いつでもプロの世界に来い』と言われて嬉しかったです。実はその3カ月前、サン・クロレラクラシックで藤本さんに勝ってローアマになったことがすごく自信になりました。それからアジアアマを連覇(翌2012年にもマスターズに出場)。日本学生という試合でも藤本さんに競り勝てた。『この人に勝てれば、やっていけるんじゃないか』と思っていました」

<Q16:大学4年当時の2013年春にプロ転向。デビュー2戦目・つるやオープンでプロ初勝利(アマ時代を含め2勝目)を飾り、年間4勝でいきなり賞金王を獲得。さらにスポット参戦した米ツアーでも活躍し翌シーズンのシード権を手に。うまく行き過ぎじゃないですか?>

「2013年はとにかく必死でしたけど、2012年の準備があったからこそだと思っています。プロの試合で1シーズン4回トップ10に入った(※編注:出場はわずか6試合。うち2位が2回)。勝てなかったですけど、その順位にいられたことが大きかった。その年はパターがすごく不調の年でした。でもなかなか入らなくても上位に行けたことで、自信がつきました。全米アマチュア選手権も、パットが悪いなりにまとめられた。プロとしてやっていくために、何をしなければいけないか、常に考えながらやっていた1年だったと思います。大学では最後の年にキャプテンになりましたが、プロの試合に出ていたので…それらしいことは、何もしませんでしたね…。選ばれて、チームをほったらかしにしていました。僕以外の同級生たちがすごく苦労したので、本当に感謝しています」

<Q17:小さい頃に青木功、尾崎将司、中嶋常幸の“AON”に会ったことがあるって本当ですか?>

「青木さんは僕が6歳の時、愛媛のゴルフ場で合宿をされている時に初めてお会いしました。僕は練習でたまたまそこでお世話になっていたんですが、青木さんが来ていると聞いてすぐに見に行きました。そうしたらこっちに気付いた青木さんが『おいで、おいで』って。目の前でプレーを見せていただきました。中嶋さんとは2000年、父がダンロップスポーツのプロアマ大会に出場した時に、練習場にいらしたんです。父は僕に向かって『中嶋さん、昔はすごかったんだぞ!』って、失礼な一言を…。そうしたら『これからだ!』って噛みつかれてました(苦笑)。霧で上空がほとんど見えない練習場で最後50ydくらいのロブショットを3球打って、全部同じところに落ちたのを見て、びっくりしました。ジャンボさんとはお話ししたことはなかったですが、2002年にダンロップフェニックスを観戦した時、9番ホールで親父の肩車に乗って見たのを覚えています。記憶力、スゴイでしょ。そうしたらプロになって初めて優勝した、つるやオープンの表彰式で、エージシュートを達成したジャンボさんと一緒になりました。初めてお話ししましたが、ずっとトップを走り続けてきた人、オーラが凄くて、めっちゃ緊張しました」

<Q18:プロゴルファーになって約3年。この仕事の魅力は?>

「もちろんプロになって良かったと思っています。自分の好きなことで、頑張った分だけ、頑張って稼げる。もしプロゴルファーになっていなかったら?何をしてたんすかね…あまり考えたことがない。野球は本格的にやってみたかったなと思いますけど。でもサラリーマンはきっとできない。向かないっす。すぐクビになっていると思う」

※あす配信の【DAY2】は、~ゴルフのコツとこだわり~編。松山選手が自ら語る全番手の飛距離から始まり、ラウンド中の考え方、使用用具の裏話など、自身のゴルフについて迫ります。(取材・構成/桂川洋一)

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