感情と、自らのゲームをコントロールするタイガー・ウッズ
1997年 全米オープン
期間:06/12〜06/15 場所:コングレッショナルCC(メリーランド州)
壮絶な大混戦を抜け出したのは南アのアーニー・エルス。加瀬は健闘の8オーバー28位に終わる。
久しぶりにまともな天気という気がする。青空がのぞき、昨日までの悪天候がうそのようだ。しかしグリーンやフェアウェイはたっぷり雨を吸い込んで柔らかくなり、ボールもよく止まるようになった。4番、5番アイアンあたりならグリーンで止まってくれる感じになっている。ただし、ラフはあいかわらずきつい。フェアウェイとラフの差は、いっそう極端になった。ラフに入ったら完全に1ストロークを覚悟しなくてはならない。
最終日、ピン位置は予想通り最難易度のポジションに切られた。たとえば18番のショートホール。左の池ギリギリにピンが立つ。どうしてもバーディが欲しい選手は危険を覚悟で狙うしかないし、安全策をとるなら右に逃げる。ギャンブルか安全か。選択を明快に迫ってくるピン位置だ。1打差で追う選手は、当然のことながらギャンブルをするしかない。
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アーニー・エルスはもちろん安全策をとった。しかし安全策だからほんとうに安全かというと、もちろん違う。寄せた後の最後のパッティング。かなりの長さがあった。このときエルスはグリーン上から17番のリーマンを見ていた。追ってくるリーマンがスコアを落とすのを見とどけてから、余裕を持ってウィニングパットをストロークした。この時間差、ちょっとしたタイミングが、エルスの心理に大きなアドバンテージを与えてくれたと思う。けっして易しいパットではなかったのだから。
タイガー・ウッズは結局、自分のゴルフができていなかった。ほとんどの選手がグリーンをとらえるのに苦労している中で、バックスピンでボールを止めるショットができていたのはタイガーだけだったし(他の選手の場合は、刻んだ3打目で、ようやくバックスピンがかかっていた)、素晴らしいプレーも随所に見せていた。しかしムラが多すぎた。アベレージとしては、優勝を争うようなショットを持続することができなかったというべきだろう。
それでもタイガーの周囲に集まったギャラリーは、優勝を争っている組よりも多かった。スタート間隔がはなれていたということもある。タイガーを見てから最終組に回ろうとすればできたから、とも言えるだろう。しかし、優勝に関係のない選手がこんなにギャラリーを集めるなんて、そうあることではない。たとえオーバーパーでプレーしていても、やはりタイガーはタイガーなのだ。
クリントン大統領が、やはりやってきた。娘さんがタイガーのファンなのだという。17番と18番の間でに陣取って観戦していた。しかし、優勝者の表彰式にはクリントンは出席していなかった。「USGAから正式に招待されていないから」というのが理由。要するに、コングレッショナルCCのメンバーとして観戦に来たという形らしい。ま、南アのエルスに大統領がトロフィーを渡す理由も特にない(?)。この推測は、まったく根拠はないのだが。
たまたま最終組が米国選手、2組目が外国選手ときっぱり分かれてしまったため、なんとなく対抗戦のような雰囲気もあった。モンゴメリあたりには、けっこう野次が飛んだりしていたようだ。全米オープンは、やはり米国のナショナルオープンなのだな、と思う。今年は米国がトロフィーを守りきることができなかった。来年は? 来年は、今度こそタイガー・ウッズにでも期待しようか。
特派・近藤雅美