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【WORLD】J.ニクラスのプロ転向~賞金のためのゴルフ~

Golf World(2011年11月7日号)voices texted by Adam Schupak

アマチュアからプロゴルファーに転向する時、ジャック・ニクラスは複雑な心境に襲われていた。あれから50年。決断を下したその理由を振り返る。

後生に伝えるため、“Hello World”とお披露目の瞬間を記録するテレビカメラはなかったが、それでも、50年前の1961年11月8日、ジャック・ニクラスがプロ転向を宣言した時は、“みなさん、ご静粛に!”と大注目となった。

すべてがよりシンプルだった時代、ニクラスは地元記者のケイ・ケスラー(コロンバス・シチズン紙)とポール・ホーナング(コロンバス・ディスパッチ紙)を、オハイオ州にある質素な自宅に呼び、ニュースを伝えた。だが、1つだけ注意事項があった。ニクラスは、“2番目の父”と慕うUSGAエグゼクティブ・ディレクターのジョー・デイに自分で決意を伝えるまで、このニュースを公にはしたくなかった。この前日、ニクラスは父チャーリーの経営するニクラス処方薬センターの名前が記された便せんに決意をしたため、デイにエアメールを送っていたのだ。

「熟考を重ねた上、複雑な心境ながらも、私がPGAの会員資格に申し込む決意をした事情を、この手紙にしたためています」。そう手紙は始まる。当時21歳だったニクラスは、すでにゴルフ界で最も有名な飛ばし屋になっていた。サイオトCCのヘッドプロで、10歳のニクラスにゴルフを教えたジャック・グロウトは、ニクラスは偉大な王者となる潜在能力を持っていると、あるリポーターに話したことがある。「まったく初めて会った時に、そう思ったよ」。1961年半ばになると、USアマチュア優勝、NCAAチャンピオンシップ優勝、全米オープンで2度ローアマを収め、ウォーカー・カップ・チームには2度選出されるという実績を積んでいた。

いくら実績を積んでも、ニクラスはプロへの誘いを突っぱねて、子供の頃の憧れたボビー・ジョーンズの後に続こうとしていた。当時、ニクラスはオハイオ州立大学に通いながら、始めたばかりの保険業と、アルバイトで始めたスラックス会社の宣伝活動を忙しくこなしていた。プロ転向のプレッシャーが強まったのは、USアマチュアで2度目の優勝を飾った後だった。9月16日、ペブル・ビーチで行われた最終日に、マッチプレーでダッドリー・ワイソンを8&6で下したのだ。それでもなお、ニクラスはプロ転向はないと断固拒絶していたという。

「しばらくの間、(ディーン)ビーマンとニクラスはアマチュアゴルフ界の頂点を競い合うだろう」と、ゴルフダイジェスト誌1961年10月号でジョン・メイは記している。「どちらも気持ちがプロ転向に傾いた様子はない。もしかしたら、米アマチュアゴルフ界で最高の出来事かもしれない」。

だが、その舞台裏で、ニクラスは賞金のためにプレーするプロになる可能性を模索し始めていた。アーノルド・パーマーに彼の代理人マーク・マコーマックを雇ってもいいか尋ねていたのだ。パーマーは当時を振り返って言う。「一瞬考えたが、“もちろん、全然問題ないよ”と伝えたよ」。さらに、ニクラスはマコーマックと会う意図を、デイに伝えていた。「君が私の息子だったら、同じことを伝えただろう。自分にはどんな選択肢があるか把握しておくんだ。それが、必ずしもプロ転向につながるわけじゃない」とデイは言った。

自叙伝「The Greatest Game of All」の中で、その年の8月、オハイオ州アクロンで行われたアメリカン・ゴルフ・クラシックで、クリーブランドを本拠とする弁護士マコーマックと対面したと、ニクラスは綴っている。プロ初年度で賞金以外にどれくらいの収入が見込めるのか尋ねると、マコーマックはスポンサー契約だけでも最低10万ドルは手に入ると試算した。

当時、新婚で第1子誕生を控えたニクラスにとって、それだけの収入があれば経済面での心配はなくなる。だが、それでも決心しきれなかった。50年経った今でも、プロ転向の決断の要因は収入増ではないと言う。「私はゴルフそのものを追い求めてプロになったんだ」と、ニクラスは先月のゴルフワールド誌で語っている。「自分が打ち込んでいるもので、どこまで上り詰められるか試してみたかった。それをするには、プロを相手に戦うしかなかったんだ」。

ニクラスの将来を憶測する噂は、瞬く間に広がった。ニュースを手に入れようという記者たちに追いかけ回される。それでも、ニクラスは固く口を閉じたまま。プロになる意志はない、と言い続けた。だからこそ、プロ転向を伝えるニュースは、こぞって“彼らしくない突然の”決断と言われている。今、振り返ると、決断はもっと複雑なものだったという。

「心変わりしたわけじゃないんだ。当時はアマチュアゴルファーが“いつかプロになりたいと思います”と言った途端、自動的にプロと見なされる時代だった。そういうものだった。このルールがあったからこそ、真実はジッと内に秘めておかねばならないこともあったんだ」。(2012年現在、アマチュア選手でもエージェントと契約を結び、全米ゴルフ協会から必要経費を受け取ることができる)

ニクラスが様々な選択肢を検討している時、家族や友人らから多くのアドバイスを受けた。アマチュア界で共に戦っていたビル・キャンベルとは、シンシナティ郊外で開催されたロサンティビル・プロアマで言葉を交わした。10月下旬に行われたこのイベントで、ニクラスはオハイオ州立大のコーチ、ボブ・ケプラーと組み、キャンベルは地元ウェストバージニア出身のプロと組んでいた。イベントの後、みんなでディナーに出掛けた時、アマチュアゴルフに心酔するキャンベルが、ニクラスにプロ転向を勧めた。沈黙が生まれた。さらに沈黙は深くなる。最後にケプラーが口を開いた。「ビルの言う通りだ」。

「ジャックは別次元にいたんだ。桁外れの才能を持っていた」。あの夜のディナーを振り返りながら、キャンベルは続ける。「俺はただ思ったことを言っただけだよ」。

同時に、キャンベルは、ジョーンズの持つアマチュア記録に並ぶかもしれない最高の有望株を失ったと、USGAの熱心なファンたちから“非難を浴びた”ことを覚えている。実際、1961年11月17日号のゴルフワールド誌では、「ボビーが打ち立てた不朽の記録(グランドスラム)が並ばれる恐れが出るよりずっと早く、ベーブ・ルースの本塁打記録は塗り替えられるだろう」と予測している。

時代は変わり、アマチュアの精神がゴルフの真髄だと信じていた男でさえ、ツアープロから受けた影響は無視できないと認めるまでになった。ニクラスが電話した時、「どんな決断を下したとしても、それは正しいはずだ」と、USGAのデイは言ったという。

やがて、生涯アマチュアで過ごすというアイディアは過去の遺物となった。半世紀が過ぎ、ニクラスはまったく後悔していないという。「もし保険業を続けていたら、誰も私の存在を知ることがなかっただろうね」。

それどころか、ゴルフ界はまったく別の姿になっていただろう。

米国ゴルフダイジェスト社提携
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