【WORLD】2012年シーズンは悲劇の応酬
Golf World(2012年12月4日号)texted by Bill Fields
多くの成功を手にしたサム・スニードにおいても、1939年、そして1947年の「全米オープン」で優勝を逃したことは最後まで彼を苦しめた。スニードのまばゆいばかりのキャリアの中にも“全米オープン優勝”という文字が刻まれることはなかった。連戦連勝を重ねたものの、それを逃した傷が癒えることはなかった。ゴルフチャンネルが今年100周年記念に放送した昔のドキュメンタリー映画「American Triumvirate」は、ベン・ホーガン、バイロン・ネルソン、スニードのキャリアをテーマにしたもので、偉大な王者が一時の不運に打ちのめされた姿が収められている。スニードほどの勝者たる勝者でも、1947年の全米オープン最終ホールで、僅か80cmの距離からのパットを外し、ルー・ウォーシャムとのプレーオフに敗れた。勝利したウォーシャムは試合中に不必要な訴え、つまり遅延行為をしたにも関わらず、スニードは敗戦を受け入れた。
2012年早々、最終ホールでの大番狂わせが立て続けに起こった。しかしこうした現象が一年を通して起こると、誰が想像しただろう。
1月下旬の日曜日、数千キロも離れた2つの地で、同様のケースが発生した。欧州ツアーの「アブダビHSBC選手権」。3日目まで素晴らしいプレーを続け、首位タイに立ったウッズだったが、最終日は散々の結果に終わることに。フェアウェイ、グリーンをとらえることに苦しみ、34歳の英国人ロバート・ロックに優勝を持っていかれた。世界ランキング117位のロックは、並み居る強豪の存在にも臆せず、優勝という結果を残したのだ。
今思えばウッズが最終日の後退で優勝を逃したことは、2012年の最終日に劇的なドラマが生まれる予兆だったのかもしれない。PGAツアー参戦から2年目のスタンリー(24歳)は、(アブダビでウッズが敗れた同日に)トーレパインズで開催された米ツアー「ファーマーズ・インシュランスオープン」最終日を首位でスタート。残り9ホールに入ったところで、2位に6打差をつけていた。最終18ホール(パー5)のティグラウンドに立った時点でも、2位のブラント・スネデカーとは3打差。優勝を手中にあったはずだった。
普通に考えれば、この状況から敗れる可能性は低い。だが、スタンリーは負けた。最終ホールの第3打、残り77ヤードからウェッジを選択したが、グリーン手前の池に落としてしまう。第5打でグリーンに乗せたが、ロングパットを残した。1.2mの2パット目を決めていれば優勝となったが、結果は3パットでトリプルボギー。プレーオフに入り、2ホール目で敗れた。「必ず表彰台の一番上に戻ってくる」と、大会終了後にレポーターに語ったスタンリーの言葉は、ショックで落胆した表情には不釣り合いなほど、勇敢に聞こえた。
それから2か月後、「クラフトナビスコ選手権」でも最終日最終ホールで優勝を逃す瞬間が生まれる。ミッションヒルズCCの18番ホール、23歳のキムにとって初となるメジャータイトル獲得を決めるには、僅か30cmのパーパットを決めるだけ。スニード、ダグ・サンダース(1970年の全英オープン)、エド・スニード(1979年のマスターズ)、スコット・ホーク(1989年のマスターズ)、スチュワート・シンク(2001年の全米オープン)らと比較しても、キムのショットはイージーそのものだった。
しかし、結果は見るも無残。カップの縁を回り、弾かれたボールを見た瞬間、哀れな女子プロは左手で口を押さえ、信じられないものを見るように視線をボールに向けた。自らの心を壊したミスパットが、自分の順位にまで影響しているとは気がつかなかったキム。「自分でも、あれだけ短いパットを外すなんて想像もしたことがありませんでした」と当時を回想する。結果、ユ・スンヨンとのプレーオフとなり、1ホール目でバーディを奪われ、敗れた。