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「いま僕はココにいます」Vol.178 米国編

人は彼のことを“旅人ゴルファー”と呼ぶ。川村昌弘・30歳。2012年のプロデビューから活躍の場を海の向こうに求め、キャリアで足を運んだ国と地域の数は実に70に到達した。キャディバッグとバックパックで世界を飛び回る渡り鳥の経路を追っていこう。

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プロゴルファーの川村昌弘です。
いま僕はロサンゼルスにいます。

欧州ツアー(DPワールドツアー)も2024年シーズンの序盤戦を終えてクリスマス休暇に入りました。僕は来年のPGAツアー、下部コーンフェリーツアーの出場がかかる予選会(Qスクール)挑戦のため10月半ばから滞在した米国から、ようやく帰国の途に就きます。

さて、3ステージの予選会は11月の2次予選会で敗退してしまいました。キャリアで初めての米国進出に向けたチャレンジは残念な結果に。詳細は次回、ことしの最終回のコラムでお話ししますが、この2カ月間にわたる旅も充実していました。

10月、1次予選会が行われたテキサス州ダラス近郊でレンタカーを借りてから、実はこの間、ずっと車で移動したんです。テキサスの後はフロリダ州、2次予選会の会場があったジョージア州へ。そしてフロリダ州に戻ってから最後にカリフォルニア州まで大陸を横断しました。

実にその距離4000km! 途中から国道66号線、いわゆる西部開拓時代の象徴でもある「ルート66」を駆け抜け、途中、アリゾナ州でグランドキャニオンにも立ち寄ってきました。スタート地点のダラスから考えると、(最低でも)6633㎞を走破したことになります。

今回の遠征では予選会のための調整試合として、フロリダでミニツアー(ムーンライトツアー)にも参加してきました。通常の4日間を戦って年間で争うツアーとは違う1日競技で、将来の飛躍を夢見る選手たちがいっぱいの試合です。僕自身、日本でプロ転向した後の2013年までは何度か出場したことがありました。

出場選手からエントリーフィを集め、順位によって賞金を分配するものすごくシンプルなゲームです。各試合の優勝賞金は数百ドル程度。それでも真剣勝負には変わりありません。普段、その国のナショナルオープンだらけの欧州ツアーのゴルフ場はいつもパーフェクトなコンディションに仕上げられますが、ミニツアーではそうはいきません。芝が生えそろっていないフェアウェイに、ボールが安定して転がらないグリーン。そうであっても、ピリピリする緊張感に大差はないのです。

結局、僕は3試合で3位、4位、3位の成績でした。勝つことができず、ちょっと落ち込みました…。稼いだ額は625ドル(約9万円)。ガソリン代くらいはまかなえたでしょうか。10年ぶりのムーンライトツアー。自分の立ち位置を改めて考えることもできて、なんだか初心に帰れた気がしました。

進出できなかった最終予選会の前には、フロリダのオーランドに住む小平智選手の拠点で一緒に汗を流しました。ゴルフ以外にもテニスをしたり、コースがクローズの月曜日にはディズニー・ワールドで観光も。米ツアーの出場権確保は来年にお預けになりましたが、米国の空気をいっぱいに吸い込めた2カ月になりました。

旅人ゴルファー

Profile

川村昌弘
川村昌弘Masahiro Kawamura
1993年6月25日・三重県生まれ。5歳の時に父と一緒にゴルフを始め、小学生時代には全国大会の常連選手に。ジョーダン・スピースやジャスティン・トーマスらと出場したフランスでのジュニア大会をきっかけに将来の海外転戦を夢見る。高校卒業後にプロ転向し、2013年に20歳で出場した日本&アジアン共同主管大会「アジアパシフィックパナソニックオープン」でツアー初優勝を飾り、海外進出の足がかりを得た。
川村昌弘選手の略歴・戦績はプロフィールページで

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