ボーディッチが逃げ切りで通算2勝目 スピースは30位
2015年 AT&T バイロン・ネルソン選手権
期間:05/28〜05/31 場所:TPCフォーシーズンズリゾート(テキサス州)
<選手名鑑159>カルロス・オルティス
■ 第二の故郷テキサスでカンペオン(チャンピオン)に挑む
今大会は米国南部テキサス州ダラス・フォートワース空港から車で10分ほどにあるTPCラス・コリナスで開催される。メキシコ人選手としてツアーで孤軍奮闘するカルロス・オルティス(24)は複雑な思いを抱きながらプレーする。
テキサス州南部はメキシコと国境を接しているが、テキサス州はかつてメキシコ領地だった。1836年、メキシコの一部だったテキサスは闘争を起こし、テキサス共和国として独立に成功。その後1845年、アメリカ合衆国28番目の州となった。今は穏やかな共存共栄の社会を築いたが、16世紀以降、幾度もの争いを経てきた歴史がある。
<< 下に続く >>
オルティスは北テキサス大学に留学し、卒業までの4年間をテキサスで過ごした。同大学はダラス・フォートワース圏の北部に位置する。隣接する母国と近いだけでなく、たくさんの思い出もある場所だ。オルティスは現在も同州ダラスに拠点を置き、友人知人も多く、今大会は第二のホームゲームになる。
■ ロールモデル(手本)は10歳上のロレーナ・オチョア
オルティスは1991年4月24日、メキシコ南西部の太平洋に面したハリスコ州の州都グアダラハラで生まれた。メキシコが輩出した最強選手、ロレーナ・オチョア(34)と同郷で、彼女との出会いはオルティスのその後の進路に、大きな影響を与えていった。
グアラダハラは首都メキシコシティの西に位置し、落ち着いた街並みや、美しい景観からメキシコ西部の真珠と称され、京都とも姉妹都市だ。6月から9月までが雨季で、10月から5月までが乾季。朝と夜は寒い時もあるが、1年を通して温かく「1年中が春」と言われるほど過ごしやすい土地だ。またメキシコの代表的な音楽(楽団)で無形文化遺産のマリアッチは同地発祥といわれている。
ゴルフ場数はメキシコ全体で約180コースあり、世界で20番目。同地でジュニア育成に力を注いでいるのはグアダラハラCCで、オチョアもそこで練習を重ね、世界に羽ばたいた。オルティスが初めて同コースを訪れたのは10歳の時。同コースは練習場の施設も優れているがテニス、サッカー、水泳、乗馬など多くのスポーツを楽しめ、家族でメンバーになっていた。
オチョアは当時19歳でアリゾナ大学の学生だった。帰郷の際は同コースで練習に励み、コースに練習に通っていているときにオルティスと出会った。彼女は卒業後の2003年にプロになり、メキシコ初の世界的トッププロへと成長。LPGAで2006年から3年連続で賞金女王に君臨した。2007年4月23日には、アニカ・ソレンスタムを抜き、世界ランク1位に。2010年4月、28歳で引退するまで、メジャー2勝を含む27勝を挙げた。
会う度に輝きを増し、スーパースターの階段を駆け上がるオチョアに、オルティスは刺激や影響を受けながら育っていった。2009年末にアエロメヒコ航空CEOと結婚したが、母国ゴルフの発展のために尽力を続け、オルティスの留学、プロ転向など大切な決断の際も鋭い助言で背中を押してくれたという。
■ PGAデビューはジャック・ニクラスの指名
オルティスは大学卒業後の2013年にプロ転向を果たした。同年ウェブドットコムツアーのQスクールを15位で合格し、シード権を獲得。2014年が同ツアーにフル参戦した1年目だった。前評判も高かったが、予想を上回るロケットスタートで、出場わずか4試合目、3月の「パナマ・クラロ選手権」で初優勝を飾ると、その3週間後、母国開催の「メキシコ選手権」でも優勝を飾った。世界ランクは1000位を前後する圏外にいたが、その数試合で200位内に急浮上した。
怒涛の活躍はジャック・ニクラスの目に留まり、サプライズな展開が待っていた。5月にはニクラス主催の「ザ・メモリアルトーナメント」(松山英樹優勝)に推薦出場し、予選通過を果たすと65位タイでフィニッシュした。これがPGAツアーのデビュー戦となった。8月には、下部ツアーの「ポートランドオープン」で3勝目。同ツアーには3勝した段階で、PGAツアーの出場権が与えられる“バトル・フィールド・プロモーション”というシステムがあり、オルティスはドイツのマルセル・シームに次ぐ10人目でこの資格を得たのだ。シーズン末の10月7日には、選手間投票で選出される年間最優秀選手賞を授賞し、破竹の勢いでPGAツアーの初年を迎えることになった。
■ 夢はオリンピックのメダリスト
ルーキーとして4戦目で迎えた「OHLクラシックatマヤコバ」は母国開催だ。開幕前水曜のプロアマで、ビックリする知らせを受けた。アーカンソー大学ゴルフ部で、ツアープロを目指す弟・アルバーロが、グレッグ・ノーマンのキャディに指名されたのだ。弟にとって極上の経験になっただけでなく、カルロスも親しく会話をする機会に恵まれ、その後もノーマンからさまざまな助言を受けるようになった。このノーマン効果は即効で、同大会では自己ベストの9位に入るなど、母国で躍動することができた。
転戦続きのツアーライフにも慣れてきて、大好きな寿司店めぐりが楽しみのひとつだ。アボガドやフルーツ、スパイシーなメキシコ系SUSHIが好みで、週に5回は食べるそうだ。
オルティスの目標はメジャー優勝だが、こだわるのは五輪で母国代表に選ばれ、本戦に出場すること。各国最大2名の枠内で、世界ランクの条件をクリアする選手は、現在3人。彼は五輪ランキングでも38位にランクインし、活躍が続けば代表入りの可能性は高い。「五輪は特別なメジャー。選手なら誰でも母国のために金メダルを目指すはず。僕も同じ気持ちだ」と燃えている。「そのためにも良いプレーを続けなければ」と猛練習に励んでいる。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。