クリス・ストラウド、プレーオフを制してツアー初V
元海軍大尉の選手が「独立記念日」に首位浮上
By Helen Ross, PGATOUR.COM
幼い頃のビリー・ハーレーIIIは、7月4日のアメリカ合衆国独立記念日をごく一般家庭の子供と同様に祝っていた。午後にはホットドッグやハンバーガーをグリルで焼いて食べ、夜空に広がる花火のシンフォニーを眺めていた。
年齢を重ね、ハーレーは独立記念日の意味を深く理解し始め、自由のために身を犠牲にして戦ったアメリカ国民に感謝の念を抱き始めた。そして海軍兵学校に入学し、卒業後はペルシャ湾沖の駆逐艦で任務に就いた。
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アメリカ合衆国にとって238回目の独立記念日は、ハーレーにこそ相応しいものだったのかもしれない。彼は「ザ・グリーンブライアークラシック」2日目にボギーなしの「63」をマークし、通算9アンダーで単独首位に浮上した。
現在PGAツアーに出場する選手の中で唯一軍隊経験を持つハーレーは、今シーズン自己ベストのスコアを叩き出し、ケビン・チャッペル、クリス・ストラウドと1打差でトップに立っている。特別な1日に、美しいアレゲーニー山脈で残した好スコアだが、そのことでハーレーの気持ちに隙が出来るようなことはなさそうだ。
「いつだって良いプレーが出来たら最高でしょ?」。
笑顔でこう語ったハーレーは、「ただ、自分の国にとって特別な1日だからね。今大会では僕だけが(軍での)経験があるわけだし、思い入れはある。7月4日に7アンダーを記録するなんて出来過ぎだよね」と続けた。
ハーレーの軍隊経験がクローズアップされたけでなく、独立記念日のこの日は、710もの客室数を誇るウェストバージニアの青々とした自然を望む、ここグリーンブライアーのリゾートホテルにも赤と青と白の星条旗が飾られた。
過去26人ものアメリカ合衆国大統領がバカンスに訪れているリゾート地のグリーンブライアーは、南北戦争時に南軍と北軍との間で奪い合いとなり、第二次世界大戦中には陸軍病院として使用された。また、ドイツと日本の外交官を抑留する施設としても使用され、冷戦時代には、核攻撃から連邦議員を守る極秘シェルターが作られた土地だったことも知られている。
軍隊との結びつきが強い土地でもあるため、独立記念日に話題になるのは当然のことと言えるだろう。
ハーレーは中学校に入学した時点で、海軍兵学校への進学を決めていた。出願したのも兵学校だけで、幸運にも入学許可が下りた。
「海軍兵学校に夢中だったとでも言うのかな。伝統、名誉、精神、責任、そのどれもが自分にとって理想的なものだった。自分に適した学校だったんだ」。
今も学校があるアナポリスに妻と、2人の息子と暮らしているハーレーには、海軍兵学校に進学した当時からゴルフの才があった。本人もすぐにその才能を自覚したが、10代でプロになれるほどの逸材ではなかったという。海軍兵学校を卒業後は5年の軍役義務を果たした。
「大学で良い選手になれたけれど、プロになれるかどうか確信が持てるレベルではなかった。17歳の頃からプロ転向が確実と思われていたような選手ではなかったから」。
海軍兵学校で4年生になった当時、ハーレーは全米アマチュア2位にランクされると、2004年に量的経済学の学位を取得して卒業後、海軍を出た後でゴルフの道に進む可能性も考え始めた。
だが、まだ気持ちは海軍にあった。当時についてハーレーは、「ゴルフは完全に二の次だった。まず自分は海軍兵士だったからね。自分と一緒に軍役を務めた連中に聞いても、きっと同じことを言うはずだよ」と話す。
初めての任務は、フロリダにあるメイポート海軍補給基地のミサイル巡洋艦「ゲティスバーグ」乗艦だった。それから半年後に巡洋艦の任務から解かれると、アマチュアとしてゴルフをプレーする時間が取れるようになり、2005年のウォーカーカップ代表に選出された。兵役中だった2006年の3月にプロ転向を果たすと、予選免除資格や、月曜の予選会をパスし、PGAツアー6大会に出場。2大会で予選通過を果たした。
ハーレーは海軍に予備隊への配置転換を求めたが、認められなかった。競技は異なるが、NBAレジェンドのデビッド・ロビンソンも海軍兵学校に入学したものの、身長が規定より約5センチ高かったことから、予備隊プログラムで土木技術を学び、卒業後も2年のみの軍役で終えられた。
希望を却下されたハーレーは、2007年の7月に駆逐艦「チャン=フー」配属となり、真珠湾沖に駐留。当時の自身を“レクリエーションゴルファー”と呼ぶハーレーは、1万トンもある駆逐艦での任務に就いていた時、平均して1ヶ月に1ラウンドプレー出来れば良い方だったとか。
その後ペルシャ湾でイラクの石油基地を守る任務、それから紅海沖、南シナ海沖での任務に就いた。中でも印象に残っているのは、スエズ運河で駆逐艦を操船したことだという。
ハーレーは、ニヤッと笑い、「素晴らしい経験だったよ」と振り返った。
2009年に軍役(最後は大尉)を終えると、それから18ヶ月間ミニツアーに出場し、2011年のウェブドットコムツアー出場権を獲得する。その1年後にはウェブドットコムツアーの賞金ランク25位となり、PGAツアールーキーとなった。
海軍で規律とタイムマネージメントの技術を身につけたというハーレーは、先週の「クイッケンローンズ・ナショナル」で8位タイとし、今シーズン3度目のトップ10フィニッシュを飾った。タイガー・ウッズ財団が、毎年の独立記念日前後にコングレッショナルで開催する大会で調子を上げたハーレーは、今週も好調をキープしている。
2日目にハーレーと同組だったストラウドは、独立記念日に「65」を記録した元海兵について、「素晴らしい。海軍にいて、3、4年、いや、5年も実戦から離れていたのに、ツアーに出場できるレベルに戻したわけだから。もっと多くの人に知られていいことだ。今が絶好調じゃないかな」と、驚きの声をあげた。