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2016年 全米オープン
期間:06/16〜06/19 オークモントCC(ペンシルベニア州)

不屈のダッファーの物語 オークモントにもあった黒人差別(上)

米国Golf Digest誌6月号 2016 全米オープン特集

今年の「全米オープン」がオークモントCCへ戻ることにより、同コースでの大会に関する多くの歴史が語られることになるだろう。ベン・ホーガンによる伝説的なラウンドや、ジャック・ニクラスアーノルド・パーマーがプレーオフで激突した1962年大会。そして1973年のジョニー・ミラーによる奇跡の最終ラウンドなど、その話題は尽きない。しかしながら、米国にあるその他の名門ゴルフクラブ同様に、オークモントも88年間に及び、アフリカ系アメリカ人をメンバーとして認めていなかったという不名誉な事実が語られることは、そうないだろう。

何しろこれは、1990年にアラバマの名門ショールクリークが、この差別的な方針により「全米プロゴルフ選手権」の開催権を剥奪されそうになった際も、オークモントが固執した伝統なのである。その際の論争に続く形で、オークモントのスポークスマンにしてかつての会長であるジョージ・トンプソンは、オークモントがメジャーの開催地にならなくなったとしても、独自の“自由連想”の権利を主張するべきか否か、決断すべきであると説いた。またトンプソンは記者に対し「落ち着いてゴルフ人口の統計を見てみれば、そこまで多くの黒人はゴルフをプレーしていないことが分かる」とも述べている。

だが9カ月後、1994年の「全米オープン」開催を前に、オークモントはメディアに不要な見出しが掲載されるのを避けるべく、2人のアフリカ系アメリカ人をメンバーに加えた。高名な弁護士であるエリック・スプリンガーと、その妻で化学者のセシルがその人である。とはいえ、考えてみればそれは必ずしもおかしな流れというわけではなかった。同カントリークラブの隣には、オークモントイーストというみすぼらしいパブリックコースがあり、当地は「ピッツバーグ・ダッファーズ(ゴルフ下手の意)」なる黒人ゴルファーで編成される一団が、足繁く通う場所だったのである。

1950年代に結成されたピッツバーグ・ダッファーズはクラブを渡り歩きながら、西ペンシルベニアから東オハイオ一帯、さらにはその先の地域のパブリックコースの人種差別廃止に向けて活動を行ってきた。「(オークモントイーストから)塀越しに眺めながら、オークモントでのプレーを熱望していたんだ」とは、現在ダッファーズの会長を務めるロバート・(ロック)ロビンソンの弁である。

ピッツバーグ地方の黒人ゴルファーにある「何としてでもゴルフをプレーするんだ」という、このダッファーズの根底にある伝統は、実のところオークモントにおける選手権開催よりも古い歴史を持っている。1919年にオークモントが初めて「全米アマチュア選手権」を開催した頃、ピッツバーグで最も才能に恵まれたアスリートと言えばカンバーランド(カム)・ポージーJr.だった。アンドリュー・カーネギーとも取引のあった裕福な実業家の息子だったポージーは、セミプロとしてバスケットボールをプレーするため、ペンシルベニア州立大学を中退した。そして1915年、比較的肌の色の薄かったポージーは、チャールズ・カンバートなる偽名を使い、白人としてホリーゴースト(現デュケイン大学)に編入し復学したのである。

この策は見事にはまり、彼はアマチュアとしてバスケットボールをプレーする傍ら、白人のみで編成されるゴルフチームに加わった。ポージーは再び中退するまでの間に、そのゴルフチームのキャプテンにまで上り詰めたが、その後は稼ぎの良かった(黒人のみの)プロ野球に専念するようになった。彼はホームステッド・グレイズという草野球同然のチームを買収すると、これをニグロリーグ屈指のフランチャイズへと変貌させてみせたのだ。

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