今週開催の「FBRオープン」オープニングパーティで死亡事故
「FBRオープン」/ジョナサン・ケイの優勝会見
現代のゴルフ界では一流選手にスウィング・コーチ、フィジカル・トレーナー、そしてメンタル面で支えるセラピストなど、チームが組まれていることは当たり前。しかし、そんな一流プレーヤーたちが参戦した選手層の厚い「FBRオープン」を征したジョナサン・ケイにはスウィング・コーチもフィジカル・トレーナーもいない自己流。ジョナサン・ケイは「自分のこのスイングを教えられるコーチなんていなよ」と冗談を飛ばしている。
9年間のPGAツアー・キャリアの中で、ジョナサン・ケイには何度となく辛酸をなめた。1995年の「クワッドシティクラシック」では最終ホールで痛恨のボギーを叩き優勝を逃し、2002年の「グレーターハートフォードオープン」では54ホール終了時には首位に立っていたものの、72ホール目でバーディを決められず、プレーオフ入りを逃した。同じ年の「リノタホオープン」でも2メートル弱のバーディパットを最終ホールで外してしまい、さらに突入したプレーオフでクリス・ライリーに優勝をさらわれてしまった。そんなケイが初優勝を飾ったのは195試合目の2003年「ビュイッククラシック」。一つ目のプレーオフホールでイーグルを奪い勝利をもぎ取った。そして先週、54ホール終了時に優勝争いにしっかりと身を置いていたケイは、ミケルソンやディマルコといった強豪たちと接戦を繰り広げた。勝利の女神を引き付けたのは12番でのバーディだ。
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ジョナサン・ケイ
「12番までパープレーでラウンドしていました。やっとバーディを取り、アンダーに入れて勢いがつきました」
その勢いに乗ってケイは4連続バーディ。一方のミケルソンは伸び悩み、クリス・ディマルコは上がり3ホールを2オーバーと後退した。
ジョナサン・ケイ
「今日は穏やかだったね。自分で自分にプレッシャーをかけたりしないようにしていた。それにショットは全て必要な場面でちゃんと打てていたし、みんなも必死に勝とうとしている中で、私は運にも恵まれて勝つことができた。優勝できたこの事実だけで信じられないほど嬉しいんだ」
ジョナサン・ケイの2003年シーズンPGAツアー賞金ランキングは、10位から1位に($1,292,944)。また世界ゴルフランキングもニック・プライス、ジャスティン・レナード、クリス・ディマルコ、チャールズ・ハウエルIIIらを抜いて24位から14位となった。