チャック全開も…愛すべきビッグレフティ/海外ゴルフ回顧録
きょう50歳 フィル・ミケルソンの挑戦は続く
10数年以上前、ジョーダン・スピースはネットオークションで一冊の雑誌を競り落としたという。「たぶん…12、13歳の頃だったと思うんだ」。米国のスポーツ雑誌として名高い、スポーツイラストレイテッド誌の当時の表紙は、2004年にマスターズで初優勝を飾り、グリーン上で大ジャンプするフィル・ミケルソン。その上には直筆のサインが記されていた。
「僕はずっと彼の大ファン。大きくなって彼に会ってからはもっとファンになった」と前週の米ツアー「チャールズ・シュワブチャレンジ」で明かしたスピース。ビッグ・レフティは16日、男子ゴルフでは節目となる50回目の誕生日を迎えた。
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もっとも、ミケルソンにシニア入りする様子はまだない。昨年2月の「AT&Tペブルビーチプロアマ」までにツアー通算44勝。前週のシーズン再開戦にも元気に登場した。ドライビングディスタンス部門では今季301.4yd(全体72位)をマーク。若手に負けじと、飛距離のみならず技術向上に意欲が尽きない。
実力者ぞろいの米ツアーでこれまで50歳以上にしてレギュラーツアー優勝を果たしたのは、最年長記録(52歳10カ月8日)を持つサム・スニードを筆頭に7人。直近では15年「ウィンダム選手権」でデービス・ラブIIIが51歳にして優勝した。ちなみに複数回勝った選手はいない。
欧州ツアーではスペインのミゲル・アンヘル・ヒメネスが2014年に「スペインオープン」を50歳133日で制したのが唯一のケース。ちなみに日本ツアーでは7人が達成し、のべ21勝。最近では18年の「日本プロ」を50歳92日で制した谷口徹が印象的だが、うち12勝は尾崎将司がマーク。02年「全日空オープン」で樹立した55歳241日の最年長記録が燦然と輝く。
タイガー・ウッズとともにツアーの最盛期をつくったミケルソンは、多くの人から愛されるキャラクターが際立つ選手でもある。投資に関するトラブル、CMで披露した愉快なダンス、2018年「全米オープン」で動いている球を打つなど物議をかもすプレー…。あらゆる種類の話題を振りまく一方で、ファンを相手にすると声援にお決まりのサムアップポーズで応え、大量のサインの要求にも可能な限り応える。ユーモアに溢れ、年下、年上構わずプロの手本として仲間たちからも慕われる人柄の持ち主でもある。
米ゴルフウィークにゲーリー・ウッドランドが明かしたエピソード。2015年当時、ミケルソンと同じキャロウェイと契約していたウッドランドは、プロトタイプのボールに「5」と入れてもらっていた。小さいころに憧れた野球選手(ジョージ・ブレット)の、そして少年野球チームでの自分の背番号に由来していたが、秋の大会で同じ組になったミケルソンはそのボールを見て「なんでお前がキャロウェイの5番を持っているんだ。メジャーで5勝した僕のためのものだよ」と一蹴。機転の利いたとっさのジョークでウッドランドは思わず小さくなってしまったという。
一方で家族を大切にする男としても名を馳せてきた。子どもの学校行事に出席するため、試合会場と学校とをプライベートジェットで往復することキャリアで数回。エイミー夫人、母メアリーさんの乳がんとの闘病生活を全力で支えてきた。
ライアン・パーマーは同じくゴルフウィークにこう語っている。2016年「全米プロ」、同組でのプレーを終えたときのこと。「スコアリングテントの横でフィルに話しかけたんだ。聞きたいことがあって…」。パーマーは当時、妻のジェニファーの乳がんが発覚したばかりだった。「彼は何も言わず、しばらくのあいだ僕を強く抱きしめてくれた。何も言わずにね。あの瞬間は忘れられないよ」