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2018年 全米オープン
期間:06/14〜06/17 場所:シネコック・ヒルズGC(ニューヨーク州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

シネコック・ヒルズのリベンジと変化する全米オープン/ゴルフ昔ばなし

2018/06/06 07:30

2018年のメジャー第2戦「全米オープン」は次週14日(木)に開幕します。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による連載対談は、このゴルファー世界一決定戦を特集中。今回は大会の注目点と、時代とともに変化を遂げてきた最高峰の戦いを独自の視点で掘り下げます。

■ 試合中に水を シネコック・ヒルズは“汚点”を返せるか

―1895年の初開催から118回目の今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか。舞台はニューヨーク州、ロングアイランドにあるシネコック・ヒルズGC。2004年大会以来、史上5回目の開催になります。

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宮本 シネコック・ヒルズでは前回行われた2004年大会で、丸山茂樹が4位に入る活躍を見せた。予選ラウンドでタイガー・ウッズと回り、3日目にはフィル・ミケルソンと一緒にプレー。堂々と優勝争いに加わった。コースはリンクススタイルで、1891年の開場と、米国でもクラシカルなゴルフ場として知られるが、それがいまだにトップレベルで通用するというのがすばらしい。

宮本 ただ、シネコック・ヒルズとUSGA(全米ゴルフ協会)にとって、今年は“リベンジ”をすべき時。2004年大会の最終日、7番ホールのグリーンがあまりに硬く、速くなり、ボールが止まらない状況になった。そこで大会側は競技の途中でグリーンに水をまいたんだ。USGA、全米オープンのなかでも“汚点”といえる出来事になってしまった。今回はどうなるか注目したい。

■ コースセッティングの改革と挑戦

―全米オープンといえば、「深いラフに硬いグリーン」というのがコースセッティングの定番です。ただ、その傾向は時間の経過とともに変わりつつあります。

宮本 それこそシネコック・ヒルズでの1995年大会のときなんか、ラフに行ったら“ごめんなさい”をして、フェアウェイにレイアップしてからパーやボギーを拾っていくというのが全米オープンの設定だった。当時、勝ったのがコーリー・ペイビン。飛距離の出ない選手でもパーを重ねていって優勝するというものだった。いったいどうやってプレーするんだ…という難度の高いセッティング。でもそれはペイビンも含め、選手としては決しておもしろいものではなかったんだ。ただ以降、USGAは考え方を変えて、ラフを「打てそうなんだけど、打つとトラブルになるかもしれない…」という微妙な長さにし始めた。ラフから狙うか、刻むかの判断をさせるようになったんだ。

三田村 セッティングの担当者が若くなり、思考を変えたんだ。最近では特にパー4で1オンが狙える、いわゆるドライバブルというホールが珍しくなくなった。リスクを恐れず行くか、それとも守るか。革新派のコースセッターはそういう選手のアグレッシブさを引き出し、一方では危険をかえりみない姿勢を誘惑するようになった。USGAも全米オープンをはじめ、主催試合でいろんなことを試していて、フェアウェイ、ファーストカット、セカンドカットと段階的に長くなっていったラフを、中央から外側にかけて“斜め”に高くなるように切ることもある。そういうチャレンジを常にしている。歴史あるコースに改造や、新しいセッティングを施すことで、アメリカンクラシックという言葉ができた。

■ 名門クラブからパブリックへ

―全米オープンの開催地に採用されるコースは、数年ごとに歴史あるクラブが名乗りを上げます。一方でUSGAはそのチョイスにも変化を加えてきました。

宮本 1980年代からPGAツアーを追いかけて、全米オープンの楽しみの一つが、普段は入ることすらできない名門クラブに足を踏み入れられることだった。TPC(トーナメント・プレーヤーズ・クラブ)をはじめ、PGAツアーの会場とは違う興奮。クラシカルな歴史あるコースに入るドキドキ感がある。それは選手たちも同じ。ただ最近では2015年のチェンバーズベイGCのような、新設のコースも候補に挙がる。テレビで観ていて、おもしろくないか、そうでないかということも選定の要素になったようだ。

三田村 長い歴史の中で米本土の東部で開催されることが多かったのは、西よりもコーポレートテント(大会スポンサーのホスピタリティ用のテント。招待された来場者は中で飲食サービスなどを受けられる)がよく売れる、ということもあった。
宮本 それこそひとつテントを建てることで、1億円、2億円という額が収入になる。ビジネスとしての要素も大きく、「このコースには、コーポレートテントをいくつ立てられるか?」というのも基準の一つといえる。
三田村 たとえば「マスターズ」では最近、オーガスタナショナルGCの近隣の土地買収が活発で、大会期間中に設けられる駐車場には最低8500台とめることができる。1台に3、4人と乗れば、たしかに3万人以上のパトロンが入場できることになるよね。土地の広さとトーナメントビジネスには関係がある。

三田村 あとは古くは名門コースばかりで開催されていたのが、パブリックコースを採用することになったものも時代の変化。大会が終わってから、ジュニアでも近隣住民でも全米オープンを開いたコースでプレーできるんだから。そこはすばらしいポイントの一つだね。
宮本 確かにそれは大きな流れ。ジャック・ニクラスが勝った1972年大会はペブルビーチGL(カリフォルニア州)。ペブルビーチは1919年に開場されたリゾートアクセスのパブリックコースだけど、その時まで全米オープンは開かれなかったんだ。その後、同じカリフォルニア州で2008年にトリーパインズGCを採用した。タイガー・ウッズが劇的な優勝を飾った場所で、誰もがプレーするチャンスがあるんだ。同じ場所でやってみたい!と思うのはゴルファーの心理だよね。

「ありえないことが起こる」―――。スポーツの世界ではシナリオを超越したドラマが生まれることがあります。ゴルフでいえば、その筆頭がメジャーの舞台。“全米オープン編”の最終回は、多くの人がその物語の展開に心を打たれた2000年大会を振り返ります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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