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2018年 全米オープン
期間:06/14〜06/17 場所:シネコック・ヒルズGC(ニューヨーク州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

国立劇場か国立競技場か 全米オープンの本質とは/ゴルフ昔ばなし

まもなく迎える6月は「全米オープン」の季節。全米ゴルフ協会(USGA)主催のメジャー第2戦は今年、14日(木)からニューヨーク州のシネコック・ヒルズGCで行われます。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載「ゴルフ昔ばなし」は大会当週までの3回にわたって、この“ゴルファー世界一決定戦”に注目。初回はほかのメジャーとは似て非なる、全米オープンの戦いの本質に迫ります。

■ 究極のセッティング

―年に4回あるメジャーの中でも、ひときわ大きな注目を集める「全米オープン」のタイトル争い。世界ランキングの上位者らが有資格者となるほか、事前には日本も含めた世界各地で予選会が行われます。米国内での人気は「マスターズ」と“双璧”とも言えますが、そのオーガスタナショナルGCでの戦いとは何が違うのでしょうか。

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三田村 マスターズと全米オープンでは緊張感に大きな違いがある。選手たちの競い方みたいなものがね。中嶋常幸は「マスターズは国立劇場、全米オープンは国立競技場での戦い」という表現をした。マスターズは毎年同じオーガスタナショナルGCで行われ、選手たちはコースが要求する演技をその舞台で披露する。一方で全米オープンは、その時々のゴルフの本質を突き詰めながら、異なるコースでセッティングをする。主催する全米ゴルフ協会(USGA)とプレーヤーとのバトル、というイメージが湧く。

―USGAはR&A(ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ・オブ・セントアンドリュース)とともに、ゴルフ規則をはじめとした世界のゴルフをリードする機関。彼らが全米オープンで用意するコースセッティングには毎回、ファンの興味が注がれます。カリフォルニア州サンフランシスコのオリンピッククラブで行われた1998年大会では、選手から不満が噴出し、語り草となりました。

三田村 同年のオリンピッククラブでは、リー・ジャンセンが優勝。当時のグリーンのセッティングについては激しい議論が巻き起こった。2日目の18番ホールで、カップは奥から手前に下る急斜面に切られた。あまりにボールが止まらず、選手からは文句がたくさん出た。それに対し、USGAもオフィシャルコメントを出す。「データ上ではあの18番ホールで、ボールを止められる選手が集まっているはずだ」と対抗するようにね。コースを介して、セッティングする側とプレーする側が、究極のせめぎ合いをする。セッティングの英知と、ゴルフの英知をぶつけ合いましょう、という考え方。難しくて意地悪だと言えばそれまでだが、それが長い間、全米オープンだった。98年のカップのあの設定はいまだに「ミスだった」という意見もあるが、担当者としてはショートアイアンでピンそばに止めるやり方、奥から戻すやり方、手前から転がすやり方…というショットのバリエーションがあるはずだという確固たる主張を持っていたんだね。

■ ラフに入れたら、ごめんなさい

宮本 最近は少し変わってきたが、当時のセッティングは本当に身の毛もよだつ…といったものだった。ラフがひざの丈まであることもザラで、入れたらほとんどの場合は “謝る”(グリーンを狙うのをあきらめて、フェアウェイにレイアップする)必要があった。
三田村尾崎将司がペブルビーチGLで戦った1992年をはじめ、AONが活躍した時代、数値でいうとラフに1回入れると0.25ストロークを失う、平均で4回入れると約1ストローク失うといったことが言われていた。ナイスショットにはご褒美があるが、ミスには厳しい罰が与えられる。尾崎もいい線まで行ったが、ラフに何度か入れているうちに、耐えていても、それが積もり積もって…どこかで破綻してしまう、そんな戦いぶりだった。

■ 全米オープン覇者がジャンボに聞きたかったこと

―全米オープンの史上最多優勝はウィリー・アンダーソン、ボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガン、ジャック・ニクラスの4回。ヘイル・アーウィンとタイガー・ウッズが3回で続きます。アンダーソンは1901年から3連勝しましたが、この記録に迫ったのが1950年から連勝したホーガンと、もうひとりが1988年、89年に勝ったカーティス・ストレンジでした。偉大なチャンピオンのひとりですが、全米オープンには魔力も潜んでいたようで…。

宮本 彼は記録にも残ったが、記憶にも残った。イリノイ州メダイナCCで行われた1990年も優勝争いを演じたが、最終日に後退。アーウィンに敗れた。ただその後、ストレンジは極度の不振に陥ってしまった。89年を最後にツアーでは一度も勝てなくなった。
三田村 昔、三重県の津カントリー倶楽部でテレビマッチが行われたことがあった。ニック・ファルド(イングランド)、グレッグ・ノーマン(オーストラリア)、ストレンジ、そして尾崎という豪華な面々。そのときストレンジは、裏で「ジャンボに話がある」と言った。よっぽど悩んでいたんだね。彼は尾崎に「一度スランプに落ちてから、はい上がったキミは何をモチベーションにしたのか?」と聞いたそうだ。3連覇という偉大な記録を逃して、挫折したのか、目標がなくなるのか…。
宮本 選手としてはね、フェードヒッターで地味な印象だった。ノーマンやセベ・バレステロス(スペイン)が派手なゴルフで活躍していた時代だったから、とにかくフェアウェイをキープしていくスタイルは見ている人にとっては、決してワクワクするようなプレーではなかった(笑)。でも、あれだけすごかった選手が突然活躍できなくなった。不思議だなあと思うよね。全米オープンという舞台で頂点を極めていたからこそなのかもしれない。

全米オープンは今年で118回大会を迎えます。サディスティックなコースセッティングで知られていましたが、近年は少しずつそれも変わってきました。また、大会と選手との激しい戦いで知られるゲームではありますが、米国の名門コースに足を踏み入れることができる、というのも特徴。次回は変わりゆく“世界一決定戦”の魅力を考えます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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