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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

PGAツアーを発展させたリーダーたち/ゴルフ昔ばなし

左から現在のPGAツアーのコミッショナーであるジェイ・モナハン、ウェブ・シンプソン、ディーン・ビーマン、ティム・フィンチェム

世界最高峰の選手が集うPGAツアー(米国男子ツアー)。アーノルド・パーマーをはじめとしたレジェンドたちのスーパースター列伝は、タイガー・ウッズらに引き継がれ、近年は世界中からトップ選手が生まれています。ただ、この発展は必ずしも選手個々の力によるものだけではありません。舞台裏の人々は彼らの才能を引き出す術を、長く模索してきました。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載は今回、ツアーを引っ張ってきたリーダーたちに迫ります。

■ 元プロゴルファーのコミッショナーの手腕

―現在のPGAツアーは1968年、PGA(全米プロゴルフ協会/PGA of America)から分離する形で設立されました。ジョセフ・デイ氏が初代コミッショナーとなり、74年からは元選手のディーン・ビーマン氏が、94年にはティム・フィンチェム氏が就任。2017年から新たにジェイ・モナハン氏がその役職を任されています。

三田村 今のツアーがあるのは、20年にわたってトップを務めたビーマンの力が大きいと思う。ビーマンはアマチュア時代にジャック・ニクラスらと争い、「全米アマチュア」で2勝(1960、63年)、「全英アマチュア」でも1勝(59年)したほどの選手。プロ転向後は4勝したが、ケガもあって30代半ばにしてゴルファーとしてのキャリアを終えた。そんな彼がコミッショナーになった1970年代中盤、ツアーは「強くなるより、より人間らしくあれ」というスローガンを打ち出したんだ。
宮本 当時はもちろん、アーノルド・パーマーゲーリー・プレーヤー、そしてニクラスがゴルフ界のカリスマになり、トム・ワトソンらが若手として登場してきた時代。彼らに高い人間性を求めた一方で、ビーマンは選手のレベルアップを考えた。PGAツアーが運営するゴルフ場、TPC(トーナメント・プレーヤーズ・クラブ)を作ったんだ。1980年に現在の「ザ・プレーヤーズ選手権」の会場であるTPCソーグラスを開き、そこから米国全土に広めていった。ツアープレーヤーたちを育成できるレベルの高いコースになっている(現在は40コース前後ある)。
三田村 TPCはコースの前にまず練習場がすばらしい。選手はそういう練習環境だからこそ育つ。日本では古いゴルフ場なんかだと、練習施設が小さいうえに隠れたところにあることが多いでしょう。米国ではクラブハウスからでもよく見える場所にある。
宮本 PGAツアーを開催する試合は、TPCソーグラスの練習場にみんな憧れた。トミー(中嶋常幸)と旅をしていて、彼が驚いたのはまずそこだった。選手にしてみれば、あの広大な練習施設は「一日中過ごせる」と思えるほどなんだ。

■ 莫大なチャリティ=地域密着

―PGAツアーはスポーツ界における世界有数の“チャリティ組織”としても知られています。2017年にツアーがチャリティに投じた金額は約1億8000万ドル(約196億円)。これまでの総額は26.5億ドル(約2896億円)に上ります。

三田村 米国ではツアーがスポンサーに対し、大会を行う際にまず「これだけの額が必要だ」とバジェットを確保する。そこから必要な経費を引いていき、残った額をチャリティに回す。そのお金は大会が行われている地域の学校や病院、養護施設なんかに寄付される。またはそれが、大会に緊急時の医師や看護婦を呼んだり、子どもたちを招待したりするお金になる。確かにキリスト教が主流の米国では、奉仕やチャリティはひとつの文化。そこまで組み込まれて大会が成り立っているのがPGAツアー。だから、より試合が地域密着型になる。大会が消滅すると、地域に還元されるお金もなくなってしまうからね。

三田村 ビーマンは政治力もあった。PGAツアーチャンピオンズ(米国シニアツアー)を始める際にも、ワシントンD.C.のロビー活動の専門家を仲間にして大企業のトップと話した。一方で、ビーマンがコミッショナーになって「彼の給料はいくらにすべきか?」という話になったとき、「ツアーのトップなんだから、賞金ランキングトップの選手よりも下はダメだろう」という話になった。選手たちはそれほどの期待と責任をかけた。「ダメだったら交代させるべきだ」という思いを持ってね。ビーマンもそれに応えて、選手の年金制度の基礎をつくったりと忙しい時間を過ごした。

ザ・プレーヤーズ選手権の会場であるTPCソーグラスの広大な練習場

■ “3代目”が作ったデータ・エンターテインメント

宮本 PGAツアーのフラッグシップイベントである「ザ・プレーヤーズ選手権」を初めてTPCソーグラスで行った1982年、優勝したジェリー・ペイト(PGAツアーのフラッグに描かれたゴルファーのモデルになった選手)はウィニングパットを決めた後、設計家のピート・ダイとビーマンを18番グリーン脇の池に突き落とした。「こんなに難しいコースをよくも作りやがったな!」って。すぐにその後、自分も飛び込むんだ。そういう風にトップと選手、あるいはコースデザイナーも一緒になってPGAツアーは盛り上がってきた。
三田村 ビーマンはPGAツアーの映像の権利を持つプロダクションも設立し、ケーブルテレビが進んでいた米国でテレビビジネスのきっかけも作った。
宮本 ビーマンが20年間トップを務めた後、今度は弁護士で政界にもつながりがあったティム・フィンチェムがコミッショナーになった。タイガー・ウッズが出てくる直前の1994年のこと。テレビ事業を拡大させ、さらにデータを広く活用するようにした。2000年代中ごろに現在のショットリンク(選手個々のショットデータの蓄積・活用システム)を装備して、今では分析やインターネットでのファンサービスに欠かせないものになった。昔は大金を使ってなぜそんなことを…と思っていたが、まさしく今はデータの世界になった。でもね、そういうシステムは日本のNTTや三菱などの関連企業のサポートもあったんだ。日本にはそういう技術力がありながら…国内ツアーにはなかなかそういうシステムも配備されないでいる。
三田村 「マスターズ」では過去に、今では一般的になった4Kカメラをテストしたことがある。当時の4Kカメラは屋外での撮影に弱く、メーカーとしては絶好のテストケースになった。それを主導したのはソニーだったそうだ。最近のマスターズでは次世代の8Kにトライしている。そういうテストはもちろんゴルフ界にとっても有益なはずなんだ。

PGAツアーが発足する以前、20世紀前半のプロゴルフ創成期は必ずしも今のように恵まれていたわけではありませんでした。ゴルフ界が助けを求めたのは、当時の映画俳優たちだったとか。次回はゴルフ昔ばなし・PGAツアー編の最終回。日本ツアーにも目を向けます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
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