「優勝して宍喰へ報告に行きます」池田勇太が“正装”で読み上げたジャンボさんへの手紙
◇国内男子◇東建ホームメイトカップ 事前(8日)◇東建多度CC名古屋(三重)◇7090yd(パー71)
ジャンボさんの勝負カラーだった紫のセーター、ダボッとしたタック入りのズボンは“心の師”を前にした正装だった。早朝7時に始まった尾崎将司氏の追悼セレモニーで池田勇太がポケットから手紙を取り出し、読み始めた。「憧れ、目標、尊敬…」とあらゆる言葉を並べて始まった語りは、単なるあいさつにとどまらない熱があった。
2003年10月26日、千葉・袖ヶ浦カンツリー倶楽部袖ヶ浦コースでの「ブリヂストンオープン」最終日。当時、千葉学芸高3年の17歳で尾崎さんと初めて同組で回った思い出を「おそるおそるあいさつに行くと、視線だけ私に向けてずっと無言。その姿が最高にかっこよかったです」と振り返る。
2009年6月、国内メジャー「日本プロゴルフ選手権」でツアー初優勝を飾った後には「信じられない」喜びがあった。「いつか、ジャンボさんが(ボールのネームなどに使っていた)“33番”を生意気にも使わせてもらいたい」と思っていて直談判すると「ん~? 33は永久欠番だぞ」と言われながら許可を得た。
過去3年も顎偏位症(がくへんいしょう)に苦しみ、予選落ちが続いた時期には気にかけてもらった。「心技体じゃないんだ。“体技心”だ。まず体を治せ。それから俺のところに来い」と励ましてもらった。
プロアマ戦後、取材対応した池田は手紙を書いた理由を明かした。「一昨日の夜に(あいさつで)『いっぱい話して』と言われて、ジャンボさんとのエピソードをピックアップしていって。でも、昨夜になって『2分ぐらいで』と言われまして。本当は読んだ分の何十倍も内容があったんです」と苦笑いする。
2月5日、尾崎氏の生まれ故郷の徳島・宍喰町(現海陽町)で四十九日法要と納骨式に参列。お墓に手を合わせて「今年、優勝して戻ってまいります」と誓った。この日の手紙の締めはその思いをそのまましたためた。「一生、生き続ける限り、尊敬しています。それが私の“ジャンボ愛”です。今年、絶対に優勝して宍喰に報告に行きます。待っていてください」
40歳で迎えるシーズン。「ジャンボさんは40歳になって(国内ツアー)63勝してるんです。それを確認したのが、僕の40歳の誕生日(12月22日)でジャンボさんがお亡くなりになる前日でした」。昨年末に治療を終えた顎偏位症で苦しんだ3年間を「もう一花、それ以上を咲かせるための時間だったと思っている」。7年ぶりとなる復活の22勝目へ。不惑で池田が挑む。(三重県桑名市/加藤裕一)