5位後退の宮里優作「修行をしている感じ」
素顔のツアープレーヤーたち<谷原秀人>
今月6日(金)、社団法人日本ゴルフトーナメント振興協会より2003年度の“ルーキー・オブ・ザイヤー”が発表されました。
(社)日本ゴルフトーナメント振興協会(略称GTPA)とは、国内ゴルフの主要16団体のひとつで、男女両ゴルフトーナメントを開催している主催者で構成されています。ゴルフトーナメントにおける社会貢献活動などの推進を通じ、スポーツ産業全体の振興発展に寄与することを主な目的として、1991年に設立されました。
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同協会で1998年から設けられた“ルーキー・オブ・ザ・イヤー”は、男子はツアープレーヤーに転向してから、女子はプロテスト合格後、それぞれ最長3シーズン以内を経た選手で、かつその年度の獲得賞金額上位者の中から、人格面、マナー、エチケット、将来性なども加味して、選考員の厳正な審査のもと選ばれます。
歴代の受賞者は、男子では小山内護や今井克宗、近藤智弘、女子では米山みどり選手や韓国の韓煕圓選手など、いまや一線で大活躍しているプレーヤーの名が並びます。
そして今年、この栄誉を受けたのは女子では古閑美保選手、男子は谷原秀人でした。
谷原は昨年、デビュー2年目にしてマンダムルシードよみうりオープンで初優勝を飾って全英オープンでメジャー初出場。12月には2004年のツアーにカウントされるアジア・ジャパン沖縄オープンで2勝目を挙げた成長株です。それら成績だけでなく、普段の気持ち良い挨拶と明るい笑顔は十分に、今回の受賞資格を備えているといえるでしょう。
東北福祉大時代は先輩の星野英正、後輩の宮里優作らの活躍に隠れてその存在は目立たなかったものの、谷原が在学していた間、同校が全日本大学対抗選手権で日大の25連覇を阻止したばかりか、その後、3連覇を達成していることは見逃せません。
あまり口数の多くない彼が、学生時代を振り返って、ある日ポツリと打ち明けたことがあります。
「僕、なぜか個人戦ではあんまり、やる気が出せなかったんスよね・・・」
そのかわりに、チームワークが問われる団体戦では、がぜん闘志を燃やし、実力を発揮するタイプだったようです。
「だってチーム戦なら学校のためとかチームメイトのためとか、戦う目標が立てやすいじゃないですか。・・・でも個人戦では、いったい何を目標にしたらいいのかさっぱり分からなかった。ラウンド中の気持ちの持って行き方がわからないからやる気も出ず、いつもダメでしたね」(谷原)。
今でも仲の良い、後輩の宮里優作もこう証言しています。
「あのころの谷原先輩といえば、自分のことよりまずチームのことを第一に考えているような責任感の強いタイプで、個人戦では、なんかタラタラやってるのに、チーム戦になると途端にすっごい燃えて、いつも異常に張り切っていたのが印象的でした」。
自分のことより、まずはチームみんなのために・・・。学生時代の谷原は、そういう選手だったのです。そんな姿勢が、同校の3連覇に大きく貢献したのは間違いありません。
そんな性格だったからこそ、本人もプロ入りについては大いに悩んだのだそうです。
プロゴルファーは完全な“個人事業主”。一部の競技をのぞいて谷原得意の“団体戦”の試合などありえず、当然のことながら、これからは自分のためだけに優勝を狙っていく孤独な戦いになる。いったい、このような性格で生活が成り立っていくのだろうか・・・。
「・・・かなり迷いましたが、結局『プロになろう』と決めた瞬間からは、マジで腹をくくって頑張りました。そうやっていくうちに、個人プレーでもけっこうやれることが分かってきて・・・」。いまやトーナメントでいつでもがむしゃらに優勝を狙っていけるプレーヤーに成長したわけです。
「もし、プロゴルファーになっていなかったら、実家(広島・尾道)の料理屋を継いでいた」という谷原は、現在、アメリカに渡って猛合宿中。昨年のオフも、同じように海外でキャンプをはり、「死ぬかと思った」というほどのハードトレーニングが、成果をあげました。2003年アジア・ジャパン沖縄オープンの優勝で、賞金ランク1位で迎えるプロ3年目の今シーズンは、いったいどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
※日本ゴルフツアー機構が発刊しているメールマガジン(プレーヤーズラウンジ)より転載しています。