ツアープレーヤーたちの里帰り<宮里優作>
8打差の大逆転!長男・宮里聖志が地元で涙のツアー初優勝/アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント
2004/12/20 12:00
夢を見ているようだった。
加瀬秀樹がバーディパットを外した瞬間、弟・優作が、抱きついてきた。「やったな!」と言って、父・優さんと固い握手。大粒の涙を浮かべた母・豊子さんに抱きしめられたとき、長男・聖志もあふれ出す涙を押さえられなかった。確かな家族のぬくもりに、ようやく「これは現実なんだ」と分かった。
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この日、最終日にテレビ中継のリポーターとして、コース入りしていた妹・藍さん。大勢のギャラリーにもみくちゃにされながら、18番グリーン横のアテストテント前で2人、落ち合った。
目が合った瞬間、大きな瞳から、ボロボロと涙をこぼしながら藍さんは、兄の太い首にむしゃぶりついた。声にならない声で、「おめでとう!」いまや警備員なしで、ひとりでコースも歩けないくらいの有名人となったゴルフ界のスーパーウーマンも、聖志にとっては「目に入れても痛くないほどかわいい妹」。いっこうに涙が止まらない様子の藍さんの頭を、思わずいたわるように撫でていた。照れたように妹は、兄の頭を撫で返してきた。
お互いに泣き笑いのまましばらくの間、じっと見つめあい、喜びをかみ締めあった。
地元・沖縄で、しかも、今年3月にあげた自身の結婚式以来、久しぶりに全員が揃った家族の前で、実現した初優勝。厳しい父、優しい母。人一倍努力家で完ぺき主義の弟、19歳にして女子ゴルフ界の未来を背負う妹・・・。「誰が欠けてもダメ。みんなそれぞれに役割がある」大切な家族の目の前で、いつもみんなを祝う立場だった宮里家の長兄が、主役になった。
「自分は勝っても、絶対に泣くタイプじゃない」と、タカをくくっていたが、それは大きな思い違いだったようだ。特に、これまで苦労をかけてきた両親のことを思うと、涙が止まらない。大会主催者と、コースの那覇ゴルフ倶楽部と、そのグリーンキーパーと、ボランティアのみなさんと、最後まで大きな声援を送ってくれたギャラリーのみなさんに感謝の気持ちを述べたあと、「父と母がいなければ、今の僕はありませんでした。本当に、本当にありがとう!」
両親へのあふれる思い。涙で、声にならない声を懸命に振り絞り、生まれてはじめての優勝スピーチを締めくくった。
「藍ちゃんのお兄ちゃん」と呼ばれないためには…
アマチュア時代からプロの試合で優勝争いを繰り広げてきた弟。デビューからわずか1年で1億円プレーヤーまで上りつめた妹。
「優作君のお兄ちゃん」、「藍ちゃんのお兄ちゃん」。いつもそう呼ばれてきたが、無理もない。これまでずっと、「聖志は宮里家の悩みの種だった」(父・優さん)からだ。
「両親のすねをかじりすぎて、スネがなくなってしまった」と、聖志本人も苦笑する学生時代。ゴルフの名門・近畿大学に入学したものの、「遊びがたたって」留年決定。怒り心頭の優さんに沖縄に連れ戻されて、2年間の期限付きでプロを目指して厳しい特訓を受けた。「ゴルフの感性は、兄弟一。のみこみが早くて器用な分、すぐに『自分はできる』と思って満足してしまうんですよ」(優さん)
練習をサボりがちの聖志には、父の容赦ない鉄拳が飛んだ。「でも、そういう父の監視がないと、僕はダメみたいなんです」。厳しいけれど、父はいつも、息子の長所を最大限に生かした的確なアドバイスで導いてくれた。
そんな父に叱られたあと、そっとフォローを入れてくれたのはきまって母・豊子さんだった。「怒られる理由は、分かっているんでしょう?」そんなのんびりした物言いに、いつも救われた。そして人一倍努力家の弟と、出来の良い妹。「兄弟の活躍が『俺も負けられない』という気にさせてくれて・・・。うちは家族それぞれに役割があって。誰が欠けても、ダメなんです」
そんな家族の愛に支えられてきた長兄は、この日いよいよ初の「主役の座」をつかんだが、「当分はまだ、『藍ちゃんのお兄ちゃん』て、言われるんじゃないかなあ?」この1勝だけでは足りない、と聖志は考えている。デビューから、稼いだ賞金すべて足しても藍さんの2004年シーズンに満たないからだ。宮里聖志として存在をアピールするためには「少なくとも、1億円は稼がないとダメでしょう」
このアジア・ジャパン沖縄オープンは2004年内の開催ながら、来シーズンにカウントされるトーナメントだ。優勝賞金2000万円を手にして、まずは2005年の賞金ランクで「1位」に躍り出た。兄弟の誰よりも早くひと稼ぎして、「来年は、藍ちゃんの賞金を超えるぞ!」と、張りきっている。