諸見里しのぶが15年ぶりのコースで実感する月日の流れ
諸見里しのぶ 「全米女子オープン」プロになって初めて勝ちたいと思いました。
「左打ちをやってみなよ」当たりもしなかったです…
―― 昨年は日米両ツアーのシード権を獲得し、日本ではプロ初優勝も挙げましたが、慣れない移動など苦労したことも多かったのではないですか?
「はい、大変でした(笑)。でも、プロの試合に出始めてからは毎年大変です。どちらかというと、ゴルフ以外の事で苦労している方が多いですね。週刊誌に叩かれたり、マネジメントの事だったり…。毎年スケールアップして、色んな事件が出てくる感じですね(笑)」。
―― そういった事は、ゴルフにも影響する?
「それはないです。去年も今年もゴルフにおいて大きな変化はないですね。慣れる事もないですが、それを受け入れる事は出来る様になりました。注目されるからこそ噂も一人歩きしちゃうし、今はそういう事を言われない為にも、自分で何が出来るかを考えられるようになりました」。
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―― では、これまでのキャリアの中で、ゴルフの転機となったことは?
「中学2年の時に、(今のコーチの)江連(忠)さんに出会ったことです。当時、沖縄で片山晋呉さんがジュニア向けのレッスン会をやっていて、友達に誘われて行きました。そこで初めて江連さんに会いました」。
―― 初めて会った時の印象は?
「申し訳ないのですが、当時は片山さんの事しか知らなくて…。たまたま、江連さんに見てもらう事になったのですが、『スイングが綺麗だね』って褒めて頂きました。そしたら突然、『左打ちをやってみなよ』と言われ、やってみたら当たりもしなくて…。『これが出来ないとプロになれないよ』って言われたのが新鮮で、印象に残っています」。
―― 江連さんに出会って、何が変わりましたか?
「ゴルフの技術もそうなんですけど、出会ったことによって、さらに色んな人と出会うことが出来ました。片山さん、伊澤さん、星野さん、今野さん…、それまで男子プロとは接点の無い環境だったのですが、一気に交流の持てる場に行かせて頂いた。当時は(男子プロと合同の)合宿に行っても練習をさせて貰えず、走っているかバット打ちをしているかで、それ以外は後ろで見て勉強するって感じでした。でも、その期間が一番変わった時期だと思います」。
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