【リオ現地レポート(1)】五輪ゴルフ会場・バッハ地区はどんなところ?
2016年 リオデジャネイロ五輪
期間:08/11〜08/14 場所:オリンピックゴルフコース(ブラジル・リオデジャネイロ)
【リオ現地レポート(2)】ブラジルゴルフと日系人コミュニティ
日本国外で最も多くの日系人が住んでいる国をご存じだろうか?そう、それは地球の裏側にあるブラジルだ。1908年に神戸港から出航した笠戸丸が、サントス港(サンパウロ州)に第1回移民781人を運んで以来、今では約160万人(公益財団法人 海外日系人協会調べ/平成26年度)の日系人が暮らしている。
リオデジャネイロ中心街から、オリンピックゴルフコースのあるバッハ地区に向かって西に車を走らせると、30分ほど行ったところにイタニャンガGCというゴルフ場がある。ゲートをくぐった敷地内には屋外プールや子供たちの遊び場、打撃練習場にポロ競技場までが併設され、2009年から4年間は米国女子ツアー「HSBCブラジルカップ(ツアー競技外)」の舞台となったコース。土地は平坦だが、木や池・川によって戦略性が高められている。
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このゴルフ場で1970年代後半から約40年の長きにわたって月1回、欠かさずに行われているゴルフコンペが存在する。在ブラジル日系人や現地駐在日本人で組織され、ポルトガル語で“クレージー”という意味を持つ“マルーコ”会がそれ。イタニャンガGCの全27ホールを1日でラウンドする、まさにゴルフ狂のためのお祭りだ。
記者も飛び入り参加させていただいた3月12日(土)のコンペで、数えること第441回目! 南半球の3月は日本とは反対で夏から秋へと向かう時期。湿度こそそこまで高くないものの、頭上からは強い夏の陽射しが照りつける。だが、「今年の夏は40度を超える日がなかった」と、20人ほどの参加者は涼しい顔で嬉々としてクラブを振った。
同組でプレーした小松さんは御年74歳。ブラジル国内でキヤノン製品を扱いながら同コースで30年近くプレーを続け、今では名誉会員に名を連ねている。かくしゃくとした所作から繰り出されるショットは力強く、バンカーショットやパッティングは老練のひと言だ。若手に負けない練習量で、1日54ホールを回ることも、また1日2ラウンド×3日間という荒行もさらりとこなす。「実はね、今年の目標はエージシュートなんですよ」とにっこりと目を細めながら教えてくれた。“さもありなん”という壮健ぶりだ。
同コースのメンバーでもある、リオデジャネイロゴルフ連盟のマリオ・バヨウト会長は「ブラジルには120のゴルフ場があるけれど、その50%は日本人によって支えられている」と説明する。ブラジルで輸入品のゴルフクラブに掛かる関税は約100%(!)。ゴルフカートが普通自動車を買える値段にまで跳ね上がるなど、ほぼ国内生産されていないゴルフ用品はブラジル庶民にとっては高嶺の花だ。
こうした背景もあり、サンパウロを中心としたブラジル各地には日系人が作ったコース、日系メンバーが大多数を占めるコースが遍在している。日系人が多くいたある地方都市では、かつて野球チームが作られていたが、街を出る出稼ぎ者が増えて徐々にメンバーが集まらなくなり、1人でもプレーできるゴルフ普及を後押ししたという。
今回、マルーコ会でプレーをともにしながらお話を聞き、改めて感じたことがある。この遠い異国で100年以上の長きにわたって、幾多の困難を乗り越えてコツコツと地歩を固めてきた日系人の歴史と、炎天下で汗水垂らしながら少しずつ自分の技術を向上させていくゴルフという地道な作業が、まさに日本人気質の表れのように思えたことだ。
カーニバルのような陽気なお祭りではないが、自らを鼓舞して同胞と切磋琢磨し、冷たいシャワーで汗を流したあとには気の置けない仲間たちと旨い酒を酌み交わす。こんな素敵なゴルフの時間が、地球の裏側にもあった。(編集部・今岡涼太)
今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール
1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka