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お母さん、ありがとう 浅地洋佑はピンクのシャツで初勝利

◇国内男子◇アジアパシフィックオープン選手権ダイヤモンドカップゴルフ 最終日(12日)◇総武カントリークラブ 総武コース (千葉)◇7327yd(パー71)

激闘を戦い抜いた最終ラウンドのポロシャツはピンク色だった。5月の第2日曜日。普段、テレビの向こうのPGAツアーでは恒例のコーディネートだ。浅地洋佑は単独首位で終えた3日目までに、それをきちんと胸に刻んでいた。「あしたは“母の日”なので」。何としてでも初勝利を届けたい相手は、ずっと決まっていた。

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「僕はお父さんの顔を知らない」。母・伸子さんに女手一つで育てられた浅地がゴルフを始めたのは6歳のとき。小学校4年のときに都内に引っ越したことが、さらにのめり込むきっかけになった。新居の隣は打ちっぱなしの練習場。学校からランドセルを置きに帰ると、すぐにクラブを振りに行った。受付で「お金は持っていません。あとで母が来ます」と伝えて、すぐにボールと戯れる毎日を送ったという。

「悪いことをするわけでもなく、ずっとゴルフをやっていたから、母にとっては安心だったかもしれない。でも(料金が)高いのに…僕はお金のことを気にせずに打っていた」。都内のドライビングレンジでは、1回の練習で3000円以上かかることも珍しくない。それでも母は競技ゴルフに打ち込む一人息子を支えてくれた。試合に行く際は車で送り迎え。18歳でプロ転向してからも、ふたりで転戦する姿がツアーにはいつもあった。

伸子さんは一人息子の学生時代をこう振り返る。「私がずっと働いていたので、近所の方に助けていただいたんです。ジュニアの試合でご一緒したことのある親御さんにお世話になったり、本当に皆さんのおかげで大きくなった。一人ではなかなかできなかった」。そんな多忙な毎日でも、愛息の夢を否定することはなかった。「本人が好きで始めたこと。反抗期のときに厳しく言う父親がいたら違うのかな…と思うことはありましたけど、それはないものねだり。(ゴルフをすることで)いろんな方と知り合いになって、教わったり、助かることがあった。私ひとりだから…というのはあまり感じませんでした」

レギュラーツアーで華々しくスタートを切ったが、シード獲得にも苦労するシーズンが続いた。低迷し、下部ツアー生活に送っていた2014年前後は「どうしようもない」ゴルファーだったと浅地は言う。「社会人なのに稼げない、私生活も荒れていた」。そんな態度にも、母は「私も負けていないから(笑)。『自分が好きで始めたこと。嫌なら自分で決めてやめればいい。世の中にはいろんな仕事がある』」と厳しく接し、発奮を促した。

昨年8月に2年間の交際の末、同い年の智子さんと入籍した。「僕にはもったいないですよね」と胸を張る自慢の妻だ。伸子さんもまた「女の子が欲しかったので、娘ができたみたいでうれしい」という。遠征の多いプロゴルファーの妻と母は普段、観劇に出向いたり、食事をともにしたりと仲睦まじい。そんな関係性も浅地にとっては「何よりですよ」と活力になる。

緊張感いっぱいのサンデーバックナインで、がまんの逃げ切り勝利を決めた。朝から18ホールを練り歩いた母の姿は、2mのウィニングパットを決めた直後にグリーンの奥でようやく発見した。「最高のプレゼントになったかなと思います。今までの人生で一番おいしいお酒が飲めるんじゃないかな」。酌み交わす相手は、もちろん決まっている。(千葉県印西市/桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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