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ワールドカップ日本人最高位 “オリジナル6”が次世代へ示す姿/フットゴルフな人々 vol.3 鈴木秀成

-18年7月の第2回アジアカップ(ゴールデンエレファントGC/中国)では悔しい思いも味わいました。

あれは、自分の中のターニングポイントでした。最終日、残り3ホールまでトップだったのを小林隼人さんに逆転されて、1打及ばず2位に終わった。16番でイーグルを決められて、僕はバーディ。次の17番で、頭が真っ白になっちゃって2m弱のパーパットが打てなくなったんです(相手はバーディ)。これを決めれば1打差のまま最終ホールを迎えられるのに、とんでもないショートをしてボギーにした。最後は渾身のバーディを獲ったけど1打差負け。精根尽き果てるとはこのことだなと…。(小林)隼人さんのその後のメディアの取り上げられ方もそうだし、1位と2位はこんなにも違う、一打の重みというものを突きつけられました。

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-次のワールドカップも迫っていました。どう立て直していったのでしょう?

時間がなかったからこそ、日々の過ごし方はめちゃくちゃ重要視しましたね。地味な練習こそ必要だと思うようになってきて、コツコツコツコツ、パット練習をやったりしました。それに、長期戦になるのは分かっていたので、協会の瀧田先生にトレーニングメニューを教えてもらって、ぶれない身体作りを毎日やりました。

-第3回(18年12月)ワールドカップ・モロッコ大会は、日本人歴代最高の20位に入りました。

今でこそ、淡々とプレーするのが自分のキーワードなんですけど、あのときは本当に研ぎ澄まされていました。バーディを獲ろうが、ボギーを叩こうが、ずっと一定のリズムを崩さずに貫き通せた。個人戦で最終ラウンドに残った僕とトミー(冨沢和未)、八谷紘希さんの3人で「1つでも上の順位で終わろう」と誓いました。もちろん優勝は狙っていたけど、その時点で差があった。日本のフットゴルフのために“日本人最高位”は重要だから、そこを徹底しましたね。

-20位という結果はどう受け止めていますか?

日本人最高位(それまでは16年、冨沢の80位)というよりも、そこに至るまで、良くて1日1アンダーくらいだったけど、最終日は優勝したマティアス(ペローネ)と同じ4アンダーで回れたんです。20位という結果には、協会の人からも「日本がやれるっていう爪痕を残してくれてありがとう」と言われましたが、トップ選手と同じ1日を過ごせたことが、自分の中でやれるという実感を持てたところです。

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