【’13年5月第1週】横峯さくら、松村道央の優勝ドライバー&シャフト
世界ゴルフの殿堂2013年組
5月6日(月)、世界ゴルフ殿堂の任命式において、コリン・モンゴメリー(スコットランド)、フレッド・カプルス、ウィリー・パーク・ジュニア、元ヨーロピアンツアーのエグゼクティブ・ディレクターのケン・スコフィールド、そして元全米オープンチャンピオンで伝説的なゴルフ解説者のケン・ヴェンチューリの5人が殿堂入りした。
殿堂入りの各イベントはワールド・ゴルフ・ビレッジにて行われ、セレモニーはセント・ジョーンズ・カントリー・コンベンションセンター、そして晩餐会はゴルフの殿堂内にあるガーラにて開催された。
「2013年度のメンバーを迎えることを光栄に思います」と世界ゴルフ殿堂の最高執行責任者であるジャック・ピーターが挨拶をした。「この5人のコース内外での功績はとても素晴らしいものです。私たちは彼らの殿堂入りを心から祝福し、誇りを持って彼らの功績を後世に語り継ぎたいと思います。」
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コリン・モンゴメリー(インターナショナル選出)
モンゴメリーは1990年代を代表するヨーロピアンツアーのトップ選手として、1993年から1999年までの間にオーダー・オブ・メリット(ヨーロピアンツアー賞金王。2009年からはレース・トゥ・ドバイに名称変更)にツアー記録となる7度輝いている。更に2005年にも賞金王となりハリー・バードン・トロフィーを手にしている。彼はヨーロピアンツアーで英国圏の選手としての記録となる31勝を挙げており、その他のトーナメントを含めると通算40勝している。
これらの成功もさることながら、彼のライダー・カップでの活躍は更に素晴らしいものと言えるだろう。1991年から8年連続出場を果たしており、そのうち5度のヨーロッパチームの優勝に貢献した。更に彼はこの8回の出場で6勝0敗2分と負けなしの成績を残している。2010年にセルティック・マナー・リゾートでの大会ではキャプテンとしてチームを勝利に導き、当時49歳の彼は人生で最も誇り高き瞬間を味わった。
「こうして自分の残した功績を振り返ると、7年連続でオーダー・オブ・メリットに輝いたことがいかに特別なものだったかを改めて感じることができるよ」とモンゴメリーは語った。
「7年連続賞金王は最も誇りに思えることだが、2010年にライダー・カップのキャプテンとして2008年にアメリカに奪われた勝利を取り戻すことができたこともとても誇りに思っている。しかしおかしなことに、あの優勝の年に僕はプレーをしていないんだ。だから誇りに思うのは良いプレーをしたというよりもトロフィーを掲げることができたことなんだよ。」
フレッド・カプルス(PGAツアー選出)
カプルスはその美しいスイングがとても印象的な選手のひとりだ。その美しいスイングで1992年のマスターズを制し、アメリカ人選手として初の世界ランキング1位となった。1990年代、彼はゴルフ界を圧巻し、1991年と1992年には2年連続でPGAツアー最優秀選手賞と賞金王に輝き、彼はPGA通算で15勝を挙げた。
またカプルスはアメリカチームの常連選手でもあった。彼はライダー・カップに5回出場し、1991年と1993年の勝利に貢献した。そしてプレジデンツ・カップには4度出場し、うち3度優勝している。更に2009年、2011年のプレジデンツ・カップではキャプテンとしてアメリカチームを勝利に導いており、ミュアフィールド・ビレッジで開催される2013年大会でもキャプテンとしてチームを率いることが決定している。
ウィリー・パーク・ジュニア(ベテラン部門)
パークはゴルフ史で最も古い大会である全英オープンで合計12回のトップ10入りを果たし、そのうち1887年と1889年の大会では優勝している。同じく殿堂入りを果たしたウィリー・シニアを父に持つ彼は、選手としての才能をゴルフの他の面でも生かした。彼はゴルフボールとクラブのデザインの先駆者でもあり、いくつかの特許も持っている。1896年の彼の独創性に富んだ本「ザ・ゲーム・オブ・ゴルフ」はプロゴルファーによって書かれた最初のゴルフについての本だった。また1920年に書かれた「ザ・アート・オブ・パッティング」は世に広く知られている。
また彼のコースデザインも長きに亘って評価されている。彼はヨーロッパ、アメリカ、そしてカナダにおいて、ロンドン郊外のサニングデール・ゴルフ・クラブ、ニューヨークのメイドストーン・クラブ、そしてシカゴのオリンピア・フィールズを含む200以上のコースのデザインや修正を手掛けた。
ケン・スコフィールド(特別功労部門)
スコフィールドはヨーロピアンツアーとライダー・カップを新たなステージへと引き上げた。彼は1975年にヨーロピアンツアーのエグゼクティブ・ディレクターに就任している。彼のリーダーシップのもと、2004年の退任までに、当時17回しかなかった公式大会を45開催に増やし、賞金総額も1億6百万ユーロにまで増額させた。
彼は1982年のチュニジア・オープンを皮切りに、ヨーロピアンツアーをヨーロッパ大陸以外でも開催させる海外展開を手掛けた。この国際化がメジャー・チャンピオンシップ(のちのワールド・ゴルフ・チャンピオンシップ)の骨子を作ることとなった。また彼は当時イングランドとアイルランドの選手のみを対象としていたライダー・カップをヨーロッパ選手全員にその機会を広げるための議論に大きく関わった。そしてそのことがきっかけとなりライダー・カップは世界で最も大きな大会のひとつに成長した。
ケン・ヴェンチューリ(特別功労部門)
ヴェンチューリは選手として、またテレビ解説者としてゴルフ界における象徴的なキャリアを構築した。選手としてはPGAツアーで14勝を挙げている。1964年の全米オープンでは38℃を超える暑さのコングレッショナル・カントリー・クラブで脱水症状に見舞われながらも優勝を飾った。
手根管症候群により選手生命を絶たれた彼は1968年からCBSテレビに解説者として加わった。35年に渡るキャリアによって彼はゴルフ界で最も尊敬された解説者の一人となった。そして彼は2000年にジャーナリズム・アワードのPGA特別功労賞を受賞した。そしてその同じ年に彼はチームキャプテンとしてアメリカチームをプレジデンツ・カップの優勝へと導いた。
今回の2013年度の受賞者を加え、殿堂入りメンバーは合計で146人を数える。この5人の殿堂入りメンバーはそれぞれ自身の輝かしい功績の証となる品々を世界ゴルフ殿堂に寄付し、それらは殿堂博物館に展示される。それらは殿堂メンバーのロッカールームに永遠に飾られることになる。この展示は5月7日から一般公開される。
世界ゴルフ殿堂と今回の就任式についての詳細はhttp://www.WorldGolfHallofFame.org へ