欧州ツアー2020年シーズン記録誕生の瞬間を振り返る
サミ・バリマキ 飛躍の一年を振り返る/前編
2020年サー・ヘンリー・コットン年間最優秀新人賞を獲得したサミ・バリマキのデビューシーズンを振り返ってみた。
プロゴルファーとしての人生においてこの上ないスタートを切ったバリマキは、プロ転向からわずか2年足らずでサー・ヘンリー・コットン年間最優秀新人賞を受賞するまでに至った。
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アマチュアとして成功したフィンランド人選手は、ゴルフのプレー機会が限定されていた5カ月半の軍務期間を経て、2019年にプロ転向した。
「プロに転向した時は、まだ軍に所属していました。軍に5カ月半いましたが、そこで軍よりもゴルフコースにいる方が断然居心地が良いことに気付いたので、今がプロになるタイミングかなと思い、軍にいる時点でプロ転向を宣言しました」
彼はその後4勝を挙げることになるツアーでキャリアをスタートさせると、Qスクールのファイナルステージを通過し、欧州ツアーでのルーキーシーズンのシード権を獲得した。
最初のシーズンでトップ10入りを7回記録。これにはオマーンでの優勝に加え、ウェールズでの2位、そしてシーズン最終戦での5位も含まれ、これにより「レース・トゥ・ドバイ」を11位で終えた。
では、彼のシーズンを振り返ってみよう。
ツアーでのキャリアをスタート
バリマキはシード権獲得前には、欧州ツアーの大会に1度しか出場しておらず、シーズンデビューとなった2019年12月「アルフレッドダンヒル選手権」では、2日間を「77」「76」でラウンドした。
その後、彼は「オーストラリアPGA選手権」、そして「南アフリカオープン」と、続く2大会で予選通過を果たすが、後日、彼はこの最初の3大会が欧州ツアーでプレーする上での有意義な授業となったことを認めた。
「ここでは自分自身のゲームをすることが最大の鍵であることを学ぶのに2、3試合必要でした」と話した。
「ツアー最初の頃にそれをやり切るのは本当に難しいんです。というのも、尊敬する選手たちがいて、彼らが何をするのか思わず見てしまう場所でプレーするわけですから」
「ティショットを3番ウッドで打とうとしているのに、他の選手が皆ドライバーで打っていると、自分もドライバーで打った方が良いかなと思ってしまうのですが、それが自分のスタイルに合わないのであれば、とにかく3番ウッドで打つべきなんです」
これは貴重なレッスンとなり、バリマキは次に出場した2月「ISPS HANDA ヴィックオープン」で、シーズン初のトップ10入りを果たした。
出場わずか6大会目で初優勝
彼はその数週間後に出場したツアー6戦目「オマーンオープン」で初日「74」と出遅れた。しかし、金曜を「67」でラウンドして上位に浮上すると、土曜は自身にとってのターニングポイントとなる「64」。バリマキは6人が並ぶ首位タイの一角として最終ラウンドを迎えることとなった。
「あのオマーンでの土曜の8アンダーは、恐らく今季のベストラウンドだと思います。あれにより、日曜は現実的に優勝を目指してプレーできるようになりましたから」
「あの日は本当に良いゴルフができました。もう少し伸ばせていたかもしれないとさえ思います」
最終日はブランドン・ストーン(南アフリカ)の一騎打ちになるかに見えたが、先ず抜け出したのは通算12アンダーのクラブハウスターゲットをマークしたフランスのアドリアン・サディアだった。
その後、ストーンが最終ホールで6mのパットを沈めて通算13アンダーとして派手な祝福のポーズを見せるも、ドラマはこれで終わらず、バリマキも同様の距離を入れ返してこの日のスコアを「70」とし、プレーオフに突入した。
2人は18番を2度パーとして引き分けると、ストーンがプレーオフ3ホール目で第2打をスタンドに入れ、そこからのパーセーブに失敗したため、バリマキはパーで勝利をたぐり寄せた。
「今年の初めに、今季は1勝して来年へ向け良い位置につける目標を立てました。あんなに早く勝ててとても嬉しかったですし、オマーンのバックナインで盛り返し、プレーオフで勝利を決めるあのパットを入れての優勝だったので、喜びも大きかった。自分にとって素晴らしい思い出となりました」
中断明けのツアー復帰
新型コロナウイルスの感染拡大による4カ月の中断から復帰した当初、バリマキは3大会連続して予選落ち。これについて自身のブログで「自分は準備できていると思っていたけれど、そうではなかった」と認めた。
帰宅した彼は、コーチと共に2週間練習に励み、ウェールズでの2週連続開催へ臨むまでには好感触を取り戻した。彼は「ケルティッククラシック」で6位タイに入ると、「ISPS HANDA ウェールズオープン」では2位に入り、続いて出場したバルデラマの大会(アンダルシア マスターズ)で10位に食い込んだ。
「ウェールズでは、どちらの大会でも勝てるチャンスはあると思いましたし、バルデラマでもそれは同じでした。バルデラマでは優勝のチャンスはありましたが、バックナインでやり切ることができませんでした」