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小林至博士のゴルフ余聞

ワールドカップの“チカラ” ゴルフでも期待/小林至博士のゴルフ余聞

FIFAワールドカップが始まった。普段、それほどサッカーに感心がない人でもこの期間は別、延べ視聴者数は300億人前後という世界最高峰の祭典だ。世界一の競技人口を誇るサッカーは別格としても、国別対抗戦は“にわか”も含め、興味・関心が劇的に拡がる。大方がルールを知らない競技でも、活躍すれば国民的英雄が生まれる五輪はその最たるものだが、ラグビーW杯や来春に控える野球のWBCもそうで、競技関係者にとっては、大会を機に認知と普及が拡がることを期待するイベントである。

ゴルフにも、実はワールドカップがある。第1回が開かれたのは1953年と歴史は古いが、創設70年を経た現在、その認知度は高くない。参加は20~30カ国、代表2名による4日間のストロークプレーが基本フォーマットで、最後に行われたのは2018年、優勝したのはトーマス・デトリーとトーマス・ピーターズがタッグを組んだベルギーである。

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代表の選抜は世界ランクに基づくことになっているが、トップランカーが必ずしも出場するわけではなく、2018年大会は、世界ランク上位20位に入っている選手はいなかった。最多優勝23回を誇るアメリカの代表はマット・クーチャー(29位)とカイル・スタンリー(30位)、日本代表は小平智(54位)と谷原秀人(165位)だった。

盛り上がった時期はある。世界ゴルフ選手権シリーズ(WGC)に編入されていた2000~2006年は世界のトップ選手がこぞって出場し、国の威信をかけて、覇を競っていた。例えば、太平洋クラブ御殿場で開催された2001年大会のアメリカ代表はタイガー・ウッズ(世界1位)とデビッド・デュバル(世界3位)。最終日の18番、ウッズが奇跡のチップインを決めてプレーオフに持ち込んだシーンは今でも語り草である。

長期低迷の最大の要因は、2007年、米PGAツアーの鶴の一声でWGCから外れたことである。当時、五輪競技への復活を推進していた米PGAツアーにとって、国別対抗戦は五輪で、という思惑もあったと言われているが、圧倒的なマーケットリーダーがコミットしない大会は、出場選手の格も大会の格もダウントレンドとなったのは仕方ない。

もっとも米PGAツアーが離れた直後は、ゴルフブームに沸く中国が大会を引き継ぎ、それなりの盛り上がりはあったと記憶している。しかし、それもゴルフを敵視する習近平氏が政権を握った2012年に大会は中止となった。翌2013年、ISPS(国際スポーツ振興協会)が主催を引き継いだことで、歴史と伝統の灯は何とか残り、今に至っている。

冒頭に記した通り、国別対抗戦は認知と普及に大きな役割を果たせる。日本でゴルフが普及する契機になったのは、日本開催の1957年大会で中村寅吉と小野光一のコンビが優勝したことだった。復活がかなった五輪でのゴルフも、国別対抗戦とはならなかったことだし、ゴルフの関係諸団体はもう一度、ワールドカップを見直してはどうだろうか。(小林至・桜美林大学教授)

小林至(こばやし・いたる)
1968年生まれ。江戸川大学教授を経て、2020年4月から桜美林大学(健康福祉学群)教授。92年、千葉ロッテにドラフト8位で入団。史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。93年退団。翌年からアメリカに在住し、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)取得。2002年から江戸川大学助教授となり、05年から14年まで福岡ソフトバンク球団取締役を兼任。「パシフィックリーグマーケティング」の立ち上げなどに尽力。近著に『スポーツの経済学』(PHP)など著書多数。

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