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ナショナルゴルフCCからオーガスタナショナルへ -C.T.パンの飛翔

彼が初めてゴルフクラブを手にしたときから憧れていたマグノリアレーン。パン・チェンツェンが、たぶんアメリカで最も有名な通りの1つであるその場所にたどり着くには、たしかにそれなりの時間を要した。しかし、プロになってC.T.パンとして知られるようになった彼がついにその資格を得た事実は、鮮明な記憶とともに彼の心から離れることはないだろう。

「とても言葉では言い表せません。5歳のときから、この日を夢見てきたんだから」と、マスターズ初出場を果たしたパンはいう。「ずっとこの日を待っていました。とても長い、長い年月だったけど」。それはパンにとって待ち望んでいたデビューだっただけでなく、台湾勢として2009年以来となったマスターズ出場は、母国の人々にとっても同じような感慨だった。

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すべての良きことは、待ち望み、追い求める価値がある。実際、29歳で迎えたその忘れられない一週間は、7位タイという素晴らしい結末で幕を閉じた。パンにとっては10度のメジャー出場における最高位で、さらに昨年「RBCヘリテージ」でツアー初優勝を果たして以降の約18カ月で、米ツアー初のトップ10フィニッシュだった。

米ツアー初優勝を果たし、昨年12月に台湾から初めて「プレジデンツカップ」メンバー入りして世界選抜に2ポイントをもたらした彼にとって、それは長く続いた不調からの脱却を意味していた。

ゴルフの頂きを目指すパンの旅は、彼の母、カン・ユエメイ(Yueh-Mei Kang)がキャディとして働いていたナショナルゴルフCCにその源流をたどることができる。

母の影響でゴルフに触れたパンにとって、台湾北部・苗栗県にあるナショナルゴルフCCは、自身の才能とゴルフ愛を初めて発見した場所となった。カンは幼い息子をゴルフ場に連れていき、練習グリーンでパッティングをさせていた。パンがゴルフを好きになるのに長い時間は掛からなかった。

若きその頃、彼は朝4時前に起きてクラブハウスがオープンする前に9ホールをプレーして、クラブハウスが閉まってから残り9ホールをプレーした。

ナショナルゴルフCCのウー・ロイ総支配人は、若きパンの成長をいまでも鮮明に覚えている。「パンがこのゴルフ場にいた頃、とても熱心で一生懸命だったことを覚えています」と彼は言う。「彼には才能があり、世界レベルのゴルファーになるんだという強い意志があることを知っていました。最近の米ツアーでの成績は、まさにそれを表しています」

彼の亡くなった父パン・ジュンホ(Jung-ho Pan)も、いつか自分の息子が世界レベルのゴルファーになることを信じて疑わなかった。タイガー・ウッズが史上最年少でマスターズ制覇するのをテレビで見た後、ジュンホは一番下の息子であるパンに向かって「いつか同じことを私のためにやってくれ」と伝えた。

規律を重んじた父は、息子にも厳格な愛で接した。「父はとても厳格で、僕に対しても厳しかった。いつも特別なトレーニングを用意していて、1㎞の真っ直ぐな上り坂を走らされて、身体的にも精神的にも鍛えられた」とパンは言う。

パンは父の鍛錬が自制心と謙虚さをもたらし、いつか成功した選手になるために必要なことだと信じて受け入れた。

父に課された毎日の山登りと同じように、パンも成功者への階段を上り始めた。彼が世界アマチュアチーム選手権(アイゼンハワートロフィー)で初めて台湾代表となったのはわずか14歳のときだった。翌年、パンは米国に渡り、プロとしての成功を目指して、有名なIMGアカデミーに特待生として加わった。

彼はその後、いくつかのAJGA(米国ジュニアゴルフ協会)の大会で優勝し、ワシントン大学に進学して2度のオールアメリカンにも選出された。2013年には8週に渡って世界アマチュアランク1位となり、2014年のアジア大会では台湾代表として個人、団体で金メダルを獲得。アジアの若手ナンバーワンとしての地位を固めていった。

19歳のアマチュアとして、2011年「全米オープン」でメジャー初出場を果たすと、4年後の同大会でプロデビュー。PGAツアーカナダで同年に2勝を挙げ、PGAツアーでは17年「ファーマーズ・インシュランス・オープン」と2018年「ウィンダム選手権」で2度の2位フィニッシュを決めた。

ワールドクラスの選手であることを決定付けたのは、1打差でPGAツアー初勝利を飾った2019年「RBCヘリテージ」だ。彼の父から授けられた規律が、自信へと昇華していた。

「最後の数ホールはとても疲れていて、あまり調子も良くなかった。だけど、ウィンダムで2位になったことを思い出して集中したんだ。自分自身や家族をガッカリさせたくなかった」と彼は言う。困難な状況に直面したとき、彼はいつも同じ言葉を頭の中で繰り返す…集中だ。

「これまでの人生で一番集中した。初優勝が特別なことは知っていたけど、それを調子が万全でないときに成し遂げたことは、意志の強さの証明になったし、これから先もずっと忘れないできごとです」

この勝利により、パンは1987年にロサンゼルスオープンを制した陳志忠以来2人目の台湾勢の米ツアー覇者となった。

いま、パンは台湾ゴルフのアンバサダーとして、様々な形でゴルフ界への恩返しを続けている。パンは年に一度、地元のナショナルゴルフCCに戻ってきて、ホームコースでジュニアゴルファーを招いたクリニックを開催している。ゴルフのコツや技術、知識だけでなく、パン自身の人生や成功を通じて彼らにインスピレーションを与えている。

ウーはいう。「C.T.パンは毎年クラブに戻ってきて、ジュニアゴルファーへのクリニックをやってくれる。地元に帰ってくる彼にとってだけでなく、ここにいるみんなが一緒になれるこの機会は本当に素晴らしい」

パンの成功は子どもたちに力強い美徳を示している。それは希望だ。真っ直ぐな努力と献身があればどんなことも実現できるという強い信念は、マスターズで世界が目撃したばかりだ。 (原文:Calvin Koh)

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