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山本増二郎、古賀春之輔、安田春雄、尾崎直道、塩谷育代の5人がゴルフ殿堂入り

一般財団法人日本プロゴルフ殿堂は1日、都内で第9回の日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者を発表した。

1973年のツアー制施行前に活躍したレジェンド部門では「関東プロ」を復活させるなど戦後のゴルフ界を支えた山本増二郎、日本プロゴルフ協会設立に注力した古賀春之輔、「和製ビッグ3」の一員となる安田春雄の3氏。ツアー制度が施行された以降で功績を残したプレーヤー部門では尾崎直道塩谷育代の2人が選出された。

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顕彰式典は3月11日(金)に横浜市のパシフィコ横浜で行われるジャパンゴルフフェア会場で、第8回殿堂入り顕彰者と合わせて行われる。

各顕彰者の略歴は以下の通り。
*カッコ内は生年月日、年齢、出身地

◆山本増二郎(1911年12月25日-2000年10月2日、静岡県)

地元の川奈ホテル建設事務所に就職してゴルフに出合うとプロを目指して修業。東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)を経て我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)の専属プロとなり、“早打ちマック”で親しまれる佐藤精一や青木功海老原清治ら我孫子一門の礎を築いた。終戦後の1948年には他のトーナメントに先駆けて関東プロを復活させるなど、戦後のプロゴルフ界復興に尽力。1969年には日本プロゴルフ協会の第3代理事長に就任し、約5年間日本プロゴルフ界のかじ取りを担った。

◆古賀春之輔(1913年3月9日-1988年1月12日、東京都)

戦後、宝塚ゴルフ倶楽部(兵庫県)の所属となり、関西ゴルフ界の発展に努めた。関東と関西に分かれていたプロゴルフ協会の統一にも尽力し、1957年の日本プロゴルフ協会設立に力を注いだ。後進の育成にも力を入れ、ともに日本プロゴルフ殿堂入りした島田幸作や大迫たつ子を輩出した。

◆安田春雄(1943年1月19日、79歳、東京都)

1962年のプロテストを19歳で合格。1968年「中日クラウンズ」で初優勝を挙げると、アジアサーキット(当時)にも積極的に参戦し、海外3勝をマーク。国内ではレギュラーツアー15勝、シニアツアーで3勝を挙げた。「和製ビッグ3」の一角を占める屈指のショットメーカーで、特にアイアンの名手とされた。拳を突き上げるポーズを見せることから「ガッツ安田」という愛称がつけられた。

◆尾崎直道(1956年5月16日、65歳、徳島県)

尾崎将司尾崎健夫を追うように1977年にプロ入りした尾崎3兄弟の末弟で、愛称は「ジョー」。1984年「静岡オープン」でツアー初優勝を挙げ、1988年「日本シリーズ」で初の日本タイトルを獲得。1991年に4勝を挙げて初の賞金王。93年からは米ツアーに参戦し、8年間シードを保持した。1999年には2度目の賞金王となった。レギュラーツアーでは32勝を挙げた。

◆塩谷育代(1962年5月28日、59歳、愛知県)

1982年のプロテストに合格から初優勝まで7年かかったが、1992年に賞金女王を戴冠。1995年には「日本女子オープン」など年間5勝を挙げて2度目の賞金女王を手にした。2003年にはツアー20勝の大台に乗せ、2011年にレギュラーツアーから引退。翌2012年からレジェンズツアーに参戦し、1勝を挙げた。現在はテレビ解説や若手、ジュニアの指導しているほか、コースセッティングにも注力している。

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