2017/12/04GDOEYE

9カ月ぶりの試合で“完走”9位 ウッズの復帰すべき理由

スタイル、赤系のシャツに黒いパンツを合わせたのは松山英樹だった。 家族のため、年下の仲間たちのため…。今月30日に42歳になるウッズには、カムバックしなければならない理由がたくさんある。(バハマ・アルバニー/桂川洋一)
2017/10/25ヨーロピアンツアー公式

欧州ツアー発 上海で注目の3人とは

ダスティン・ジョンソン、ディフェンディングチャンピオンの松山英樹、世界5位のジョン・ラーム(スペイン)、そして「レース・トゥ・ドバイ」で首位を走るトミー・フリートウッド(イングランド)など、過去最高の
2019/05/01佐藤信人の視点~勝者と敗者~

令和時代へ国内男子ツアーに差す一筋の光明

少なくありません。30年前のAONの先輩方や石川遼選手、松山英樹選手のようなスター選手の存在なくして人気回復は不可決と訴える人も多いでしょう。ただ、一筋の光明がありました。選手名や選手のバッググラウンド
2019/02/05佐藤信人の視点~勝者と敗者~

窮地のファウラーを救った待ち時間と人望

、その後の奮起につながりました。 ファウラーは2年前の同大会で松山英樹選手にプレーオフの末、僅差で敗れた過去があります。さらには親友である故ジャロッド・ライル(オーストラリア)が名物ホールの16番(パー
2018/09/24米国男子

5年ぶり通算80勝 タイガー・ウッズ“復活”への軌跡

としてチームに加わった。松山英樹が優勝した自身のホスト大会、16年12月のツアー外競技「ヒーローワールドチャレンジ」で1年4カ月ぶりに復帰した。用具は同年夏のナイキのボール、クラブ製造の撤退を受け
2019/05/18全米プロゴルフ選手権

ウッズのキャディ遍歴を振り返る

近くで交わされた会話にこちらが冷や汗をかいたことは未だに鮮明な記憶だ。 フォローすれば、それでもウィリアムズ氏は常識人で、明るく根も優しい。松山英樹のキャディを務めた進藤大典氏が師と仰いでいたのは
2019/04/06進藤大典ヤーデージブック

ティマークの誘惑 オーガスタ3番は心理戦を乗り越えろ

ない時期に、アゲンストの風が吹くと確実にオーバーできるのは限られたロングヒッターだけ。松山英樹選手は今シーズン、飛距離もよく出ているのでチャンスがきっとあるはずです。 このホールでおもしろい、選手や
2018/10/10佐藤信人の視点~勝者と敗者~

いまこそ考えるツアー出場権1枠の重み

金谷拓実選手(東北福祉大2年)が、日本人として2011年の松山英樹選手以来となる「アジアアマ選手権」を制しました。 金谷選手と言えば、昨季の「日本オープン」で池田勇太選手に競り負けたものの、90年
2018/06/19佐藤信人の視点~勝者と敗者~

ゴルフの根底をくつがえしかねないミケルソン問題

、どのような戦略を練っても運がない限り転がり落ちてしまう。フェアさを欠いた状況になってしまったように見えました。 松山英樹選手が、3日目に4パットを2回喫していますが、そのどちらも4回のパットがミスという
2015/04/13マスターズ

自己最高4位マキロイ 追撃の「66」遅かった

米国男子ツアーのメジャー初戦「マスターズ」最終日、ロリー・マキロイ(北アイルランド)は、首位との10打差を追って5位からタイガー・ウッズと同組でスタート。6バーディ、ノーボギーで松山英樹とともにこの
2014/10/06PGAコラム

「フライズドットコムオープン」アラカルト

上位5名のうち3名はアトランタでの「ツアー選手権byコカ・コーラ」に駒を進めた。その3名とは優勝者のウォーカーに、ケプカと共に3位タイだったケビン・ナ、日本の松山英樹だ。全体では先月のイーストレイクで
2014/03/26佐渡充高のPGA選手名鑑

<佐渡充高の選手名鑑 113>ジャスティン・レナード

。彼がデビューした頃、石川遼や松山英樹は3歳にも達していない。20年以上の長い年月、体調の変化や好不調の波を乗り越え、歯を食いしばり毎年必ずトップ10に1度は入る活躍を続けてきた。今季もすでにトップ10
2014/03/05佐渡充高のPGA選手名鑑

<佐渡充高の選手名鑑 110>グレーム・マクドウェル

松山英樹を破り、4回戦で敗退したものの、初戦から3日連続の逆転勝ち。マッチの肝を知り尽くした勝負師のプレーは圧巻だった。彼は「直接対決」にめっぽう強い。昨年は4月の「RBCヘリテージ」でウェブ
2017/07/08ヨーロピアンツアー公式

イムとエベールがトップの座を堅持

で「67」をマークした米国のポール・ピーターソンがつけている。 通算9アンダーには、この日最初の13ホールをイーブンパーで回りながらも、上がり5ホールで4バーディを奪った世界2位の松山英樹、そして日本