2017/04/02ANAインスピレーション

単独首位で迎える最終日 レキシー・トンプソンの勝率は?

時の勝率は6回中3勝で、こちらも同時に勝率5割。最終日の大歓声の中、“ウォーク・オブ・チャンピオン”(18番グリーン脇のカート道)を笑顔で歩くトンプソンは見られるか。(カリフォルニア州ランチョミラージュ/糸井順子)
2013/06/09GDOEYE

夫&キャディとして ~女子プロゴルファーの支え方~

ましたね」と広樹さん。結婚後の02年からキャディとして妻に帯同し、コース上でもそれ以外でも献身的にサポートを続けた。 表は言う。「『歩くのが速くなっているからゆっくり歩け』とか言ってくれるし、家では
2013/08/21プロのこだわり5箇条

~プロのこだわり5箇条~ <第44回>池田勇太

べき。まさに「即決、即断」。時間内ならどのようにプレーしてもよいわけではなく、自分の時間をしっかりと使うためのマネジメントをしっかりしたい。自分はとりわけプレーが早いとは思わないが、歩くのは早いと思う
2013/06/15GDOEYE

塚田好宣は予選落ちへ「おれの目標は…」

なんか、30何年やっている。50歳でも、60歳を越えても、キャディバッグ担いで走ってる。歩くだけ(選手としてプレーする)なら、絶対にやれる」「やっていれば、いつかね。(シニアメジャーで勝った)井戸木
2013/10/11国内女子

3位の北田瑠衣 1月半ぶり再会の夫が「ナイスプレー!」

ため、ついて歩くギャラリーはまばら。北田の組には5名程度がついて歩いていたが、その中に夫の石井恵可氏の姿があった。 男子ツアーで谷口徹のキャディを務める石井氏は、今週谷口が試合を休んだこともあり東名CC
2011/09/15国内女子

左ひざ痛で三塚優子が棄権!

クラブハウスに戻った。 「なんとか18ホールラウンドしたかった」という三塚だったが、10番のティショットを放った瞬間に“ピリっ”という痛みを感じた。その後もプレーを続けたが、11番を終えたところで歩く
2011/04/24国内男子

通算5勝目の近藤共弘「初優勝の気分」

ないと考えている」。治らないなら痛みと付き合うしかない。2年間勝てなかったが、前に進むしかない。「年々、ゴルフが楽しくなっている」。いつも飄々と芝の上を歩く姿は、強さの象徴でもある。 次戦の「中日
2011/04/28国内男子

【GDO EYE】ジャンボ尾崎、杉原輝雄の想いを背負って

「中日クラウンズ」初日、朝の練習場で石川遼はジャンボ尾崎に声を掛けられた。「今年は体調がいいし、コースを歩くことに慣れてくれば、俺はいつでもお前とやれるぞ」。その言葉を聞いて、「嬉しかったし、おー
2011/10/22GDOEYE

急浮上の笠りつ子、2日目のキャディは父ではなく・・・

しながら、楽しく回れました」とニコニコの笠。明日の最終日も香川さんがキャディを務める予定だ。清也さんは午後に病院からコースに戻ったが、左足をかばいながらクラブハウス内を歩く姿は、心なしかちょっぴり
2011/02/19米国男子

今田竜二、たった一人で8番をホールアウト

「楽しかったですよ。でもスコアが良ければもっと楽しめたんでけどね」と苦笑い。8番を1人でプレーしたことについては「どうせグリーンまで歩くんだし、このスコアだからというヤケクソとかではないですよ。勢いでプレーしちゃいました」と話しながら、着替えるため足早にクラブハウスに引き上げた。
2022/10/23米国女子

引退試合でホールインワン チェ・ナヨン「鳥肌が立った」

かと思ったこともありましたが、そうしなくて本当に良かった。ホールインワンでお返しをすることができた」 初日から「75」「74」「69」と調子も上がりつつある。通算2オーバー58位で臨む最終日。キャリア集大成となる残り18ホールも地元ファンとともに歩く。(韓国江原道/玉木充)
2012/05/11GDOEYE

池田勇太はギリギリでの予選通過に怒りあらわ

奥歯をかんだ。「まだ甘いんだな、と思った。勢いだけでは何もやれるわけじゃない」。肩で風を切って、歩く。池田勇太の“普段の姿”は影を潜めていた。 意地悪な見方をすれば、これが100パーセント本心か
2012/06/15GDOEYE

14年ぶりに戻ってきたカート使用プロゴルファー

、「いくつか良くないプレーもあったけど、ナイスカムバックだったね」と自身のプレーに及第点をつけた。 カートから降り、ボール地点まで右足をかばいながら歩く姿から一転、クラブを振り抜けば300ヤードを越える
2012/06/17全米オープン

【藤田寛之専属キャディ・梅原敦の全米OPレポート〈5〉】

スティーブ・ウィリアムズ。僕としても世界の超一流キャディと同じ空気の中を歩く事が出来て、本当に幸せな一日でしたよ。スティーブがね、途中のホールで僕のキャディバッグを起こしてくれたんですよ。そしたら