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2015年 RBCヘリテージ
期間:04/16〜04/19 ハーバータウンGL(サウスカロライナ州)

<選手名鑑153>アーロン・バデリー(前編)

■ 「What?」パー4でホールインワンも、スコアは“バーディ”

「バレロテキサスオープン」初日、豪州のアーロン・バデリー(34)は、17番ホール(336ヤード/パー4)にやってきた。このホールは、なだらかに打ちおろすワンオン可能なパー4だ。バデリーはドライバーでティショットを放った後、ただちにフェアウェイを歩き出した。するとグリーンの方から大歓声が沸き起こった。グリーン手前のフェアウェイに落ちたボールは、ピン方向へまっしぐらに転がりカップイン!なんと、パー4でホールインワンを達成したのだった。パー4でのホールインワンはPGAツアー史上2度目の記録で、最初は2001年「フェニックスオープン」初日、アンドリュー・マギーが17番(334ヤード/パー4)で記録。マギーは乗らないだろうとティショットを放ったが、打球はグリーンに向かい、まだグリーン上でプレーをしていた前の組のトム・バイラムのパターに当たってカップインするという、ツアーで稀な珍事でもあった。

今回バデリーがプレーしたパー4は、336ヤードで史上最長のパー4でのホールインワンになるところ、だった。過去形の理由は、実は最初のティショットを左にOBし、ホールインしたのは3打目だったのだ。それでも17番をバーディとし、同日は、4アンダーで首位と1打差2位と好スタートを切った。ここ数年、不調が続いていたバデリーにとって気分一新の嬉しい出来事だった。

■ 父はF1王者のチーフメカニック

バデリーは1981年3月17日、米国ニューハンプシャー州で生まれた。両親は豪州人だが、父・ロンの仕事の関係で当時、米国に居を構え、そして彼が誕生した。父は世界的レーサーであるマリオ・アンドレッティのチーフメカニックとして活躍していた。チームのヘッドクォーターがニューハンプシャーにあったため、同地を拠点にしていたのだ。アンドレッティは、1978年、F1ワールドチャンピオン、インディ500、デイトナ500と、F1すべてに優勝した唯一のドライバーで、1982年、F1競技参加からリタイアした。それに伴い、父もF1メカニックの仕事を終え、翌83年に2歳の長男アーロンを連れ、一家は母国豪州に帰国、のちに2人の妹も生まれ5人家族となった。

父が現役当時から、F1界でゴルフを楽しむ関係者は多かった。英国出身のF1王者ナイジェル・マンセルはグレッグ・ノーマンの手ほどきで“ハンディ0”の腕前。レースから引退後は「ゴルフでも食べていける」とノーマンに太鼓判を押されたほどだ。師弟はのちに英国南部のウッドベリー・パークGCの共同オーナーになるなど今も親しくしている。

ゴルフとカーレースは相思相愛。デービス・ラブIIIら、多くの選手たちはオフにサーキットで本格的なトレーニングを受けるなど交流が盛んだ。またインディ500の会場となるインディアナポリス・モータースピードウェイ敷地内に、ブリックヤード・クロシングゴルフ場の一部(7~10番)があり、うまくいけば、レースを観戦しながら4ホールのプレーが可能という、かなり刺激的な立地だ。同コースではかつて米女子ツアーが開催されたこともある。

バデリーがゴルフを始めたのは、帰国してから6年後の8歳の時でゴルフに出かける父を見ていて興味が湧いたからだった。また父方の祖母ジーンがかなりのゴルフ好きで、祖母の影響も大きかった。プレーを習い始めると楽しくて、4年後の13歳で急激に上達しハンディ“23”から“6”へ。14歳の時には豪州ジュニアプログラムへ参加し、16歳になると多くの世界的アスリートを輩出しているヴィクトリア州スポーツ養成学校へ最年少の奨学生として迎えられた。

■ ミラクル連発!アマチュアで全豪オープン優勝

翌年15歳の時に、豪州プロツアーのリバーズデイル・カップに参加し予選を通過した。豪州ツアーでは史上最年少の予選通過記録となった。この頃からアーロン・バデリーの名は豪州中に拡がっていった。

1998年には、毎年米国サンディエゴで行われる「世界ジュニア選手権」に出場し、2位の好成績で、期待と注目はさらに高まっていった。そして翌99年、世界が驚く快挙を成し遂げた。同年の「全豪オープン」は母国の英雄グレッグ・ノーマンをはじめ、スコットランドから欧州ツアー賞金王7回を誇るコリン・モンゴメリーら強豪がズラリと顔を揃えていた。その中でアマチュアとして出場した18歳のバデリーは、通算14アンダーで優勝を飾り、世界のトッププロたちは「バデリーは才能の宝庫!」と絶賛した。アマチュアが同大会で優勝したのは1960年のブルース・デブリン以来の快挙とされ、18歳8ヶ月は史上最年少で、現在もこの記録は破られていない。

翌2000年4月、「マスターズ」に参加した後にプロに転向し、ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ「全豪オープン」で、プロ初優勝を大会連覇で果たした。2001年には豪州ツアーの賞金王を戴冠し、同年から米PGAツアーへの挑戦をスタートさせた。翌12年にウェブドットコムツアーに参戦、賞金ランク10位で、翌2003年から米ツアーの出場権を手にし、ルーキーとしてスタートを切った。

■ 4秒パット

バデリーのゴルフの特徴はパットの「巧さ」と「スピード」だ。いや、速さが上手さの秘訣と言った方がいいかもしれない。素振りをし、構え、ストロークを完了するまで4秒しか、かからないので“4セカンド(秒)パット”という名称がついた。これは豪州で多くの選手を育ててきた名コーチ、デリル・リンチのアドバイスを参考に考案した、バデリーオリジナルのスタイルだ。

スイングやストロークの難しさは、“静”から“動”に移る時だと一般に言われている。構えてから、しばらく動かない“静”の時間が長くなると、“動”に移るリズムやタイミングがつかみにくくなり、スムーズな動きがしにくい。そのリスクを軽減させる方法として、考えついたという。バデリーのショットやパットを見ているとテンポの良い動きが連続し、いわゆる止まる瞬間がほとんどない。常に快適なリズムでのストロークを続ける方法としても理解でき、“静”の時間がほとんどないことは、雑念や邪念が入ることも少なくなり、技術面も心理面でも有効な方法だと思う。彼にとって“4秒パット”は効果バツグンで、パットのランクは今季3位、昨年は2位、一昨年は5位と、トップ10を外れない高レベルで、安定を続けている。そう、バデリーの強さはそのパットだ。米PGAツアーで3勝しているが、巧みなパットが勝利をもたらしてきた。(後半へ続く)

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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