ジョンディアクラシックで波に乗るリード夫婦
2014年 ジョンディアクラシック
期間:07/10〜07/13 場所:TPCディアラン(イリノイ州)
<佐渡充高の選手名鑑 126>ジャスティン・ローズ
2014/07/09 10:00
■ 実力の証明!優勝は名門、難コースばかり
ジャスティン・ローズ(33)は6月末の「クイッケンローンズ・ナショナル」でショーン・ステファニとのプレーオフを制し約1年ぶり、PGAツアー6勝目を飾った。それにしてもローズがこれまで優勝した舞台は名門コースばかり。今回の優勝は3年前の「全米オープン」開催地で、難コースとして知られるメリーランド州のコングレショナルCCだ。昨年の全米オープンの会場はホーガンの伝説が生き続けるメリオンGC、米ツアー初優勝はジャック・ニクラスが心血を注ぎ造りあげたミュアフィールド・ビレッジGC、世界選手権での優勝はフロリダの名門ドラールCC、歴史と伝統を誇るシカゴのコグヒルGC、名匠ティリング・ハースト作アロノミンクGCなど、世界屈指のタフなコースばかりが並ぶ。これを見ると、ローズは厳しいセッティングであればあるほど、実力を発揮する選手であることがよくわかる。
■ 2002年 喜びと悲しみが同時に
ローズは1980年に南アフリカのヨハネスブルグで生まれ、5歳の時にイングランドに移住。生後11か月からクラブプロの父ケンの指導でゴルフを始め、11歳で60台をマーク、14歳ではハンディ+3と、めきめきと上達した。17歳の時、ロイヤル・バークデールで行われた「全英オープン」に出場し4位。最終ホールでチップインバーディの鮮烈フィニッシュだった。その翌日にプロ転向することを宣言。18歳の誕生日まで、あと11日だった。時期尚早では?と批判、非難を浴びたが、父は息子の適性を見抜き「選手として学べるのはツアーでプレーすること。米国の大学に留学することではない」と、キッパリ反論したのだ。
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高校を中退しプロ生活を開始したが、待っていたのは過酷な1年だった。21試合連続で予選落ち。冷ややかな眼差しの中、父子は踏ん張り続け、3年半後に遂に欧州ツアーで初優勝。同年は第二の故郷である南アフリカツアーや日本の「中日クラウンズ」など世界3つのツアーで優勝。2002年は努力が結果となって現れはじめた“飛躍の年”となった。その一方、最大の理解者だった父は白血病を患い闘病。息子が羽ばたくのを見届け9月に急逝した。喜びと悲しみが同時に訪れローズは新たな試練を迎えたのだった。
■ 内助+外助の功 ケイト夫人
ローズを支えたのは夫人だった。2006年に長く交際していたイングランド生れのケイト・フィリップスと結婚。彼女はサセックス大学で言語学を学び、英語、スペイン語、仏語、イタリア語が堪能だ。スポーツマネージメント会社に勤務し、ローズと知り合った。公私ともに頼れるパートナーを得たことで「米国に移住し本腰を入れよう」と決心。米PGAツアーは2010年の初優勝まで163試合を要したが、以降は毎年ビッグな試合で順調に勝利を重ねている。夫人は4年間、選手の妻によるチャリティ団体の副会長になり奔走した。ローズ個人の社会貢献活動もサポートするなど大活躍を見せる。また彼女は五輪を目指す体操選手だったことからトレーニングや栄養学など、良き相談相手でもある。2人の子供、4歳の長男レオと2歳の長女ロティにも恵まれ、家族のために頑張ることがローズの生き甲斐になった。
■ ローズ流メジャー準備法は「学ぶこと」
ローズのメジャーへの準備はまず開催コースに事前に赴き、試合用のスタンドやテントなどがない状態を確認する。そしてコースを知り尽くした人物の意見を聞くことだ。例えば、今年の「全米オープン」が開催されたパインハースト#2については、同コースを誰より知るローカルキャディから詳細を学んでいた。その人物はウィリー・リー・マクラという81歳の長老で、コースでただ一人、歴史の生き字引きと呼ばれる人物だった。彼は10歳から同コースに従事し、ボビー・ジョーンズやジーン・サラゼンから指名されたり、1951年の「ライダーカップ」では、ベン・ホーガンのマッチでバッグを担ぎ、アイゼンハワーやニクソン、フォードら歴代大統領のプレーに同行しアドバイスを与えたと言われている。チャールズ・バークレーやマイケル・ジョーダンら、スポーツセレブからも指名を受けるコースの殿堂入りキャディだ。現在、息子ポールは同コースのヘッド・インストラクター、孫ダリックは後継キャディと、3世代でゴルフ場を支える有名一族である。
ローズは彼を有給でアドバイザーに要請し、芝や天候などヤーデージブックからでは知り得ない、ありとあらゆる知識を得た。特にレジェンドたちの独特のコースマネージメントを聞いた時には胸が熱くなり、自身のプレーに夢が広がり、心の底から一気にガッツが湧いてきたそうだ。実は昨年の「全米オープン」初優勝時も、事前に特別な人たちからの情報を元に学習、それが功を奏した。彼が貪欲に知識を得て学び、その考察理由は、単に試合に勝つだけではなく、コースや試合への敬意、ゴルフをより深く、楽しくするからだという。
- 佐渡充高(さどみつたか)
- ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。