アダム・スコットのツアー成績&プロフィールなど
2024年 ザ・プレーヤーズ選手権
期間:03/14〜03/17 場所:TPCソーグラス ザ・プレーヤーズ・スタジアムコース(フロリダ州)
あれから20年 アダム・スコットが“第5のメジャー”制覇を振り返る
◇米国男子◇ザ・プレーヤーズ選手権 事前(13日)◇TPCソーグラス ザ・プレーヤーズ・スタジアムコース(フロリダ州)◇7252yd(パー72)
ちょうど20年前、アダム・スコット(オーストラリア)は「ザ・プレーヤーズ選手権」を制して、“ネクスト・タイガー”としての存在感を示した。いまや大会の賞金総額は当時の3倍以上、2500万ドルにも上る。当時の第5のメジャー制覇はPGAツアー通算14勝のキャリアにどんな意味を持たせたのか。スコット自身が語った。
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Byアダム・スコット
選手の誰もが優勝したいと思う大会が「ザ・プレーヤーズ選手権」だ。偉大な選手たち、メジャーチャンピオンにとっても、プレーヤーズのタイトルは、それぞれのキャリアに加えたいと思うもの。プロとしてのキャリアが始まったばかりの2004年に優勝できたのは、夢みたいだった。
TPCソーグラスは素晴らしいコースで、出場選手全員に優勝のチャンスを与え、最高のプレーをした選手が勝てる。20年後の今、また優勝できればこれ以上の喜びはない。
プレーヤーズはメジャーのように世界で高い評価を受けている大会だと言える。もちろん、毎年同じコースで行われることも理由の一つだが、アイランドグリーンの17番(パー3)はゴルフ界でも特に難しいホールとして知られ、これまで様々なドラマを生んできた。米国人以外の優勝者が多いことも、世界中のゴルファーにとって特別な意味を持つ理由だろう。
それぞれの選手が、大会への強い思いやプライドを持っている。このコースもゴルフというゲームが進歩するのに合わせて、しっかり対応していると思う。厳しい試練を与える素晴らしい会場で、毎年プレーするのが楽しみなコースだ。
プレーヤーズでの優勝はとても大きかった。世界最大級であると同時にツアーのどの大会よりも格が上だ。まだ23歳だった私が厳しいコースで素晴らしい選手たちを抑えて、当時の最年少記録で優勝できたことは自分のキャリアにとって大きな力になった。
優勝する時は、物事が自分に有利に進むもの。運が味方したとも言える。第3ラウンドはアーニー・エルス(南アフリカ)と一緒の組だったから落ち着いていられた。あのラウンドが最終日への自信につながり、大舞台でも良いプレーができる手ごたえを感じられた。
最終日は11番(パー5)、12番でバーディを奪い、良い流れを作れた。14番プレー中にパドレイグ・ハリントン(アイルランド)が先にラウンドを終え、その時点で私が2打リードしていた。ところが、そこから突然自分のゴルフができなくなったんだ。
大きな大会で勝ち切るのは難しい。14番でボギーをたたき、リードは1打か2打になり、さらに大きな重圧に襲われた。16番(パー5)で3打目をピンそばに寄せたが、バーディパットは普段なら入れて当然という短さだったのと、入れれば残り2ホールで3打リードだという考えが頭をよぎり、とても緊張した。結局そのバーディパットを外し、17番、18番でさらに大きな重圧を抱えることになった。
17番はウェッジで打てる短いパー3だが、これまでたくさんの悲劇が起きている。でもウェッジには自信があったし、安全にアイランドグリーンの真ん中を狙ったので比較的ラクな気持ちで打つことができた。とにかく目標通りパーで上がることができたので、あとは18番を無難に切り抜けるだけだった。
トップに立っている時に優勝を意識せず、前のめりにならないように気持ちを抑えるのは難しい。その点については、うまくコントロールできていたけれど、最終18番の2打目は番手間の半端な距離が残ったこともあり、どっちつかずの気持ちで打った6Iでのショットを左の池に入れてしまった。
罰打の後のアプローチはすごく緊張した。ただ当時はあまり得意でなかったけれど、あの週はしっかりアプローチを練習して準備はできていたんだ。何も考えず自分を信じて打った結果、ピンそば2.5mくらいに寄せることができた。最後のパットは、それほど緊張せずに打てたのを覚えている。それまでは手が震えるほど緊張したこともあったが、当時の自分にとっては、キャリア最大のタイトルを手にするためのパットだったし、これ以上ないチャンスだった。
あの頃はまだ米国に自宅がなくてね。夜は同じフロリダ州のオーランドに住むスチュアート・アップルビー(オーストラリア)の自宅に泊めてもらった。若かったこともあり派手にお祝いしたかったけれど、穏やかに終わったのは今思えば残念だったね。
でも、当時の自分の交際相手で現在の妻、そしてコーチのブッチ・ハーモンが一緒にいてくれたことで、自分のキャリアにおいて特別な瞬間になった。もしまた優勝できたら、20年前にお祝いできなかった分を取り返すくらい大騒ぎしたいな。