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2023年 ソニーオープンinハワイ
期間:01/12〜01/15 場所:ワイアラエCC(ハワイ州)

PGAツアー初優勝から40年 青木功「ハワイアンオープン」の記憶

2023年のフルフィールドの初戦である「ソニーオープンinハワイ」。松山英樹のディフェンディング大会は日本人、アジア人ゴルファーにとって大きな意味を持ってきた。PGAツアーの公式コラムは今回、Chuah Choo Chiang氏が1983年(当時ハワイアンオープン)に優勝した青木功にスポットライトを当てた。

目の輝きと口元の笑みは今も変わらない。その余りあるカリスマ性と情熱は、素晴らしいキャリアを築いてきた青木功を“生ける伝説”のひとりとする証しに違いない。

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御年80歳。彼は日本ゴルフツアー機構の会長として今も表舞台に立ち、ライフスタイルは同世代の人々のシンプルなそれとは一線を画す。日々会議に出席し、競技のプロアマ戦に出場しては、ドライビングレンジで現役世代の選手たちと向き合う。

今年は青木がアジア、日本出身の男子ゴルファーとして初めてPGAツアーで優勝してから40周年にあたる。その場所こそが今週「ソニーオープンinハワイ」が行われているホノルルのワイアラエCCだった。世界ゴルフ殿堂入り選手であるチチ・ロドリゲスがかつて「彼のようなパッティングストロークは人生で見たことがない。まさに王様だ」と称した、卓越したショートゲームを彷彿させるがごとく、青木の精神力は今もシャープである。

その繊細なタッチこそがちょうど40年前、ジャック・レナーを退けた勝利の原動力になった。クラブハウスリーダーだった米国のレナーに1打ビハインドで迎えた72ホール目。青木は残り128yd、深いラフからの3打目でイーグルを奪い、PGAツアーのタイトルを勝ち取った。

日本ツアー、欧州ツアー、1978年の世界マッチプレーを含め世界で50勝以上を挙げた青木は、当時を「私にとって本当に大きな節目だった」と振り返る。「日本人として初めてPGAツアーで優勝し、センセーショナルな大会になった。国際試合で10年、戦ってきた中で、ハワイで勝つことは欧米で戦うモチベーションとチャレンジスピリットの象徴だった」

今週のソニーオープンは、松山英樹がディフェンディングチャンピオンを務めた。松山は昨年、プレーオフ1ホール目の18番でラッセル・ヘンリーを撃破。決着は同じイーグルではあったが、青木がウェッジで直接沈めたのに対し、3Wでピンそば1mにつける見事なセカンドショットを放った。

松山は韓国のチェ・キョンジュに並ぶアジア勢最多の通算8勝目をマーク。その様子をテレビで眺め、記憶に刻んだ青木は「私たちは互いに強いインパクトを残せたと思います。英樹がスピーチで、私が優勝した大会に名前を刻めることがうれしいと話したのを聞いて、本当に胸が熱くなりました」と語る。

松山の登場以前、2000年代には丸山茂樹が3勝、今田竜二が1勝をPGAツアーで挙げた。青木は今、30歳になった松山が日本人選手の新しい世代を刺激しているという。ともに元世界アマチュアランキング1位の中島啓太蝉川泰果、昨年の日本ツアー賞金王である比嘉一貴。彼ら3人はソニーがタイトルスポンサーを務めて25周年の今年、ハワイでプレーした。

「私が優勝したことで、次の世代が大きな夢を持って、米国でチャレンジするきっかけのひとつになって良かった。私自身も含め、ゴルフ界には多くの“先輩”がいます。ここからは10年、いや5年サイクルで成功する日本人選手が出てくる。若い選手に早く優勝してもらって、どんどん自信をつけて世界の舞台で活躍してくれるのが楽しみです。スキルの面で言えば、彼らは欧米の選手たちに負けていない。あとは気持ちの持ちようでしょう。今のゴルフは私たちがプレーしていた時とは違って、本当にパワーゲームになった。若い選手たちの努力が大きな成果として実ってほしい」

1983年の優勝は、青木にとってやはりアジア人初のPGAツアー優勝者になったことへの誇りを感じられるものである。「キャリアを通じて日本や欧州でも勝ちましたが、やはりハワイでの優勝は特別でした。私たち日本人にとって、常夏のハワイは憧れでもある。その場所で勝てたことが人生を変えるターニングポイントだった」

その人生を変えるショットになった直前のキャディとのやり取りも覚えている。「キャディは『イサオ、9番じゃショートするぞ』と言ったんです。でも私は『ノー』と返して、ピッチングウェッジを持った。グリーンエッジとピンとの間に落として、バーディでプレーオフに持ち込むチャンスを作ろうと思ったんです。そんな気持ちだったからこそ、すごく良いスイングができた。ワンバウンドでカップに入ったのは、それこそ神様のギフトだと思いました」

「あの(短い)クラブでホールまで届いたということは、体中をアドレナリンが駆け巡っていたということ。何度見ても、あれは私のベストスイング。あの日は真っすぐ打つのに苦労していたんですよ。ただ、あのクラブには自信があった。グリーンに向かう間はドキドキして、カップからボールを拾った時は放心状態だった。好きなクラブだったからこそ、ベストスイングができたんでしょう。あのウェッジは今も持っています」

世界中を飛び回り、最高のフェアウェイで戦ってきた青木は、日本人の新世代にも真珠のような知恵を授けてくれるはずだ。彼もまた、日本人ゴルファーに受け継がれる“先輩”の文化の重要性を説く。

「誰にでも苦労するときがあるが、皆に自分の足跡を残してほしい。次の世代はその足跡を見て、追いかけていく。私の優勝が英樹に影響したように、世代から世代にインスピレーションをつないでほしい。私は80歳ですが、ゴルフはケガをしない限り、関係性を長く保てます。これからもたくさんの選手に感動を伝えていきたい。もちろん健康を維持してね」

情報提供:PGA TOUR

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