2022年 AT&Tペブルビーチプロアマ
期間:02/03〜02/06 場所:スパイグラスヒルGC(カリフォルニア州)
唯一無二のパターでトム・ホジーがペブルビーチを制覇
トム・ホジーが「AT&Tペブルビーチプロアマ」の日曜の終盤に、フェデックスカップ王者となった経験を持つパトリック・カントレーやジョーダン・スピースといった強敵に対し、力強く立ち向かい、PGAツアー初優勝を遂げた。
これはキャリア203戦目だったノースダコタ出身の32歳にとって、待望の優勝だった。この勝利によりフェデックスカップで2位に浮上したが、スイング改造と用具変更が実を結んでいるのは明らかだ。何しろ、彼は今回の勝利の2週前に開催された「ザ・アメリカンエキスプレス」でも2位に入っているのだ。
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先週の勝利が71ホール目で決めた6mのバーディパットに象徴されているように、パターの変更も早速結果に結びついた。ホジーはペブルビーチで唯一無二のパターをバッグに入れたのだが、そこに至った裏話は驚きに満ちている。
ホジーは「ザ・アメリカンエキスプレス」で新しいパターを模索していた。彼はターゲットに対して、よりスクエアに構えやすいパターを欲していた。オデッセイのツアーレップ、ジョー・トゥーロンによると、ホジーには左に大きく外れて狙いを定める傾向があったとのことである。
ホジーのキャディ、ヘンリー・ダイアナJr.は、トゥーロンにカスタムモデルのオデッセイ2ボールを彼の相棒に組んでもらうよう依頼した。
「ヘンリーは、長いラインの入った2ボールであれば、彼にとって構えやすいのではないかと考えたんだ」と、トゥーロンはGolfWRXに語った。「彼はその会話について、トムには話をしなかったんだ。私は、“そうだね、その時が来たら使えるよう、1本作っておくよ”と言ったんだよ」
この注文の問題は、カスタムメイドにしなければならない点だった。ホジーはプランバーネックのパターしか使わない選手だが、オデッセイはその形状のホーゼルのホワイトホットOG 2ボールパターを作っていないのである。従って、トゥーロンはオデッセイの本社に、プランバーネック型のカスタム版を製作するよう依頼しなければならなかった。
この注文は完成まで約1週間を要し、組み上がったパターは先週の「AT&Tペブルビーチプロアマ」の練習日に届けられた。
このパターの到着に際しトゥーロンは、プランバーネックは2ボールの通常モデルのホーゼルオプションに比べ、かなり重いため、ソール後部のウェートを外したことを告げた。この時点で、パターはホジーのゴーサイン待ちとなり、彼は大会を前に、他のパターと同様にこれを試打したのである。
もちろん、ホジーは新しいカスタムパターに乗り換える決断を下した。そして、その結果は知っての通りである。しかし、この話にはもう少し深い事情があった。元々、ホジーのキャディであるダイアナJr.が、自身の経験から2ボールパターの使用を勧めていたのである。
1990年代中頃のダイアナJr.はプロゴルファーで、ホジー同様、左を向いてしまう癖を持っていた。当時、彼は1986年モデルのデイブ・ペルツ3ボールパターを使っていた。これは、2001年にリリースされたオデッセイのオリジナルモデルの2ボールパターの先祖にあたる。
ダイアナJr.の父は、工具や金型を作る職人で、副業でゴルフクラブを製造していた。ダイアナJr.がアライメントの問題を修正する方法を模索していた際、彼の父親は2ボール版を作った。その2ボール版は、息子に抜群の効果をもたらした。そして後年、オデッセイは2ボールパターを世に出し、大成功を収めたのである。
「僕の父は色々といじるのが好きだったし、常に色々な意味で先見性があり、素晴らしいアイデアを持っていた」と、ダイアナJr.はGolfWRXに語った。「もちろん、ペルツはこの分野のパイオニアであり、(父は)それをいじって微調整したんだ。そして、知っての通り、オデッセイがそれを形にした。でも、これが本当に上手くいったんだ。こうして、(このパターが)また一周して戻ってきたのは、とにかく信じられないよ」
父の方のダイアナが90年代中頃にプロトタイプ版の2ボールを作ったのは正に妙案であり、息子の方のダイアナによるホジーへのカスタム版の提案もまた、名案だった。しかし、ホジーの初勝利を支えたのは、最も短いクラブだけではなかった。最長クラブへの変化も、功を奏したのである。
「彼に助言を与えるようになったきっかけは、彼のドライバーの調子が良くなかったからなんだ」と、ホジーのスイングコーチ、スコット・ハミルトンはGolfWRXに明かした。
「彼のフェアウェイキープ率は、51.2%だったんだ。彼は(ボールの)前に出過ぎていた。彼のアイアンショットを素晴らしくしていた要素は、ドライバーにとっては余り恩恵にはなっていなかったんだ。彼はバックスイングで骨盤を前に押し出すのを好むので、前に出過ぎてしまい、それがドライバーでは上手く機能していなかった。我々は、後ろに乗せて残すよう、ハードに取り組んだ。彼のドライバーは断然良くなったね」
ホジーは2021年の初頭は、低スピンモデルのタイトリストTSi3モデルではなく、その寛容性の高さを活かすべくTSi2ドライバーを使っていた。バンウェゼンベックによると、この高慣性モーメントのドライバーは、ホジーの不安定さを帳消しにしていた。
しかしながら、ハミルトンとホジーの取り組む改良が実を結び始めると、彼の初速は増していった。TSi2ではスピン量が多くなり始めたため、バンウェゼンベックとホジーは低スピンのTSi3ヘッドとより安定したシャフトの組み合わせを模索するようになった。ホジーは、ゴルファーであれば誰でも望むような、より飛んで真っ直ぐなボールを打つようになっていった。
「我々はTSi2ではスピンと格闘しているみたいな感じだったし、ミスヒットした時もそこまで良くなかった」とハミルトン。「彼がTSi3に乗り換えると、スピン量と打ち出し角がマッチし始め、良くなり始めたんだ。去年の彼は多分(スイング速度が)113か114(マイル)で、2年前は112くらいだった。ついこの間は122とか121で打っていた。彼の速度はグンと伸びたんだ。今では、コースで振る時の速度は115から117くらいだね。常にというわけではないけれど、必要なときは振ることができるんだ。それはいつだって武器になるよね」
正に、その通りになっている。
(協力/ GolfWRX, PGATOUR.com)