「覚悟を決めて準備した」 アマ世界1位・中島啓太が初のマスターズへ/単独インタビュー
2022年 マスターズ
期間:04/07〜04/10 場所:オーガスタナショナルGC(ジョージア州)
「後ろの扉は閉めてきた」 金谷拓実は一度目と違うマスターズへ/単独インタビュー
◇メジャー第1戦◇マスターズ 事前情報◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7510yd(パー72)
マグノリアレーンの木漏れ日に包まれ、わずかな時間だけ感慨にふけった。「帰ってこられた」。3月初旬のある日、金谷拓実は「マスターズ」に向けた練習ラウンドのため、ジョージア州オーガスタナショナルGCにいた。
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◆ディナーで見た先輩松山
3人が出場する2022年の日本勢の中で、誰よりも早いコースの下調べ。本戦期間中の喧騒とは違う、厳かで静かな空気に身を委ねながら18ホールをチェックした。前回出場したアマチュア時代の2019年からは、2ホールが改造されている。
「11番は15ydくらい下がっていて。ちょっと狭いイメージがあったけれど、右サイドの木が切られていた。ただ、グリーンの右側が砲台になって、簡単にアプローチできなくなっている。広くなったぶん、グリーン周りが難しくなった。15番(パー5)も20ydくらい下がっていた」
本番に向けて“良いイメージが湧いた”とは簡単に口にできるほどオーガスタは甘くない。ただ、そうやって大会の1カ月前に当地を訪れることができるのも、欧米ツアーへの挑戦、海外遠征を続けていればこそである。
その1週前、フロリダ州でのPGAツアー「アーノルド・パーマー招待」ではサプライズがあった。今年9月に行われる米国選抜との対抗戦「プレジデンツカップ」の世界選抜候補の選手が集まるディナーに松山英樹と出席した。
思わぬ形で得たトップ選手たちとの交流の機会で、末席から眺めた光景が忘れられない。「松山さんはやっぱり他の選手たちから認められているんだなあって。20人くらいいたのかな。座っているだけで、リスペクトされているのが分かった。『ヒデキ、ヒデキ』、『チャンピオンズディナー、どうするんだ?』なんて、話を振られていた」
同じ東北福祉大出身で身近な先輩は昨年、「マスターズチャンピオン」という称号が加わり、さらに偉大な存在になった。それが誇らしいようで、ふと我に返る。「こんなところにいて、いいんかな…」。 そう思うのは、「いま僕には葛藤がある」という思いからだった。
◆濃くなった霧
2020年秋にプロ転向し、1年目を戦っていた昨季。春までに日本で早々に2勝を挙げた後、金谷は戦いの場を海の向こうに求めた。将来のPGAツアー定着を目指し、推薦も含めてスポット出場したが、本格参戦に至るまでの成績にはほど遠い。そして、結果以上にハートを打ち砕かれたのは、世界のトッププレーヤーたちと自分を隔てるレベルの差だった。初夏の「全米プロ」、「メモリアルトーナメント」で、ロングコースと海外選手のパワーに圧倒され、自分を見失った。夏場以降は国内ツアーに専念。毎試合上位を争ったが、気持ちは晴れず、むしろ霧は濃くなった。
「こんな言い方をしたらアレだけど…」と遠慮がちに口を開く。「(海外で)うまくいかなくて帰っちゃって、でも日本ではある程度(良い)プレーができたんです」。ルーキーシーズンで賞金ランキング2位。国内での奮闘ぶりがマスターズ出場にもつながったとはいえ、米国の壁の高さをいっそう痛感させられた。
◆悔恨の時期
胸に充満するモヤモヤの原因は何か。それは単なる実力差だけではないような気もしていた。そばにいる、大坂武史トレーナーから見透かされたように投げかけられた言葉が身に染みた。「大坂先生に『前の扉を開けるためには、後ろの扉を閉めないといけない。そうでないと、後ろに戻ってしまう』と言われました。僕はそういう状態だった」
振り返れば夏場以降も、自分を奮い立たせれば海外ツアーへの扉を開くチャンスがあった。10月。「ZOZOチャンピオンシップ」でトップ10(7位)に入ったことで、翌週にバミューダ諸島でのPGAツアーの出場権が生まれたが、国内ツアーへの専念を理由に欠場した。
「結局は(コロナ禍の手続きで)行けなかったらしいんですけど、そもそも自分の気持ちがそっちに向いていなかった。あの時、松山さんからも連絡が来たんです。『お前、バミューダに行くの? そのまま(米国に行けば、下部)コーンフェリーツアーの予選会もある。行っちゃえば』って。でも、僕は行かなかった。(日本ツアーに出場するという)“後ろの扉”を閉めていれば、行くこともできたと思う。今は言い訳をしようと思えば『コロナで移動が大変』とも言える。僕は結局(気持ちの上で)そうしてしまって、進まないまま去年は終わっちゃったなって」
◆年下の好敵手
退路を断つ、不退転。そういった決意を固められなかった自分を責めていた頃、金谷にとって刺激的な存在が階段を駆け上がっていた。
今年、一緒にマスターズに出場する2歳下の中島啓太。
日本の男子ゴルフの将来を照らす2人が出会ったのは2015年の「日本アマチュア選手権」の決勝戦だ。金谷は高校2年生、中島は中学3年生だった。決勝トーナメントがマッチプレー方式の時代。「それまでに大学生のすごい選手に勝っちゃって、決勝の相手は誰だろうと思ったら中学生(笑)。向こうも、『高校生かい!』って思ったでしょうね」。結果は、体力面で疲弊していた中島は回るのに精いっぱい。大差をつけて金谷がアマチュア日本一になった。
金谷にとって当時の中島は上手な年下の選手の”ワンオブゼム”と言えたが、数年後にナショナルチームで時間を共有するうちに見方が変化していったという。
「人は何を見ているかで、行動や言葉、姿勢が絶対に違ってくると思う。ナショナルチームに入れたことがうれしいと思う人は、そういう(相応の)言動になる。日本ツアーでシードを取ったからうれしい、という選手もいる。そういう人を今まで何人も見てきたけど、啓太は言動も、ちょっとした仕草も、ナショナルチームの中で飛び抜けていた。見ているものが(他の選手とは)違った」
ナショナルチーム、国内ツアーのシード。自分たちで勝ち得た立場や権利に満足する選手たちを卑下するつもりは毛頭ない。ゴルフは個人競技であり、目指すものは皆同じであるはずがない。ただ、金谷自身、そして中島がそれでは満足できないだけだ。
中島はおととし世界アマチュアランキング1位に到達し、昨年「日本アマ」、国内ツアー(パナソニックオープン)優勝、そして「アジアパシフィックアマ」優勝と、結果的な道のりだけで言えば、松山、金谷の足跡をたどっている。そんな後輩について「うらやましいですよね。僕にないものを持っている」と金谷は素直に言う。
「啓太はきれいにゴルフができる。きれいというのは、基本がきっちりできているということ。スイングもきれいで、大きく飛ばせて高さも出せる。でも、古い言い方で、華やかさとは違う、プロの泥臭さ、泥臭いプレーは苦手なのかなと(以前)感じていた。優勝するにはきれいな、テレビに映るようなプレーがたくさんあるけれど、そうじゃないプレーもすごく重要。啓太も僕のような泥臭いプレーを身に付けたいと言っていた。それが去年、アマチュアのうちにそういうのも徐々に身に付いていると思った。だから、うらやましい」
◆粘り強さから描く線
葛藤を抱えたにせよ、金谷は昨年12月の「日本シリーズJTカップ」、72ホール目のバーディでマスターズの出場権を勝ち得た。だが、自分の足踏みを認めるからこそ、3年ぶりの舞台は特別とは言えないかもしれない。少なくとも前回とは心境が違う。招待状を受け取ったのは年が明けてから。遠征続きで、関係者からハワイで手渡された。「やっぱり1回目の方が、感動はしました」
具体的な目標を口にするのが今は苦しい。「難しい。『どの試合でも優勝する気持ちで』と言ってきたけれど、そういう自信もなくて簡単には言えない」。むしろ、海外ツアー定着を狙う身としては、マスターズ以外の試合も同じくらい大きな意味を持つ。「今の僕の立場は、シーズンが確約されている松山さんのようなトップ選手とは違う。どこの試合でも食らいついていきたいから」
危機感に縛られているようで、「今は歩いている感じはする。去年は(足が)空回りしていた感じ」とも思える。2月の初め、サウジアラビアから一時帰国していた際に小さなきっかけがあった。「2週間(広島の)実家に帰ったんです。僕の出た試合の映像は全部録画してあったので、見ておこうと思って。(昨年6月の)メモリアルトーナメントで、パトリック・カントレーとデッドヒートをしていたコリン・モリカワが、自分の好きなホールと、嫌いなところで(1Wと)3Wを打ち分けたりしていた。そういう“自分のスタイル”を持っていないといけない。自信がないから、違うものに手を出そうとする」
先の「アーノルド・パーマー招待」は「そこをまず、ちゃんとしようと」思い直して迎えた試合だった。1打届かず予選落ちしたが、「ダメだったけど、悪くないと自分的には思えた」。「WGCデルテクノロジーズ・マッチプレー」では持ち前の粘り強さが戻り、トニー・フィナウを相手に終盤の逆転劇を演じた上、ルーカス・ハーバート(オーストラリア)とのプレーオフでは絶妙なリカバリーからベスト16に入った。
「今はまだ挑戦。結果も出てない。挑戦とばかり言っているうちはダメだけど、他のアスリートも前に進もうとしている。この先、振り返った時に必ず『あれがあったから』と思えるから。まだまだ上がある。そこを目指してやりたい」。マスターズもまた、今はひとつの通過点。死力を尽くして、未来につながる線にする。(編集部・桂川洋一)