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アウトオブバウンズな世界紀行

「モルンビーの平等」Sao Paulo, Brazil

2020/07/12 16:30

南米ブラジルは、日本とは地球の真裏にあたる遠国だが、馴染みの深い国でもある。第1回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸から出港したのは明治41年(1908年)のこと。いまでは約200万人(外務省推定)の日系人が暮らしている。鮮やかなカナリア色をまとったブラジル代表サッカーチームのファンも多いだろう。だけど僕にとってのブラジルは、なんといっても“音速の貴公子”として親しまれたF1ドライバーの故アイルトン・セナである。

(これは取材で世界を旅するゴルフ記者の道中記である)

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いつかは訪れてみたいと思っていたブラジルの地を踏んだのは、2016年のリオ五輪。1990年代のF1全盛期から、30年近く憧れを抱いていた国である。コルコバードの丘から見下ろす有名なキリスト像に感動し、名前を口にしただけで心が弾むコパカバーナやイパネマビーチの美しさに酔いしれた。当時は治安やジカ熱が不安視されていたが、その緊張感すら刺激的なスパイスのようだった。

オリンピックが終わり、帰国する前にどうしても立ち寄りたいところがあった。そう、サンパウロにあるセナの墓である。3度のワールドチャンピオンに輝いた世界的英雄は、94年5月1日のサンマリノGP(イタリア)で1位走行中にコースを外れてクラッシュし、34歳の若さで天に召された。当時、ブラジル大統領は国民に3日間の服喪を呼びかけ、空軍機が護衛した民間機で故郷サンパウロへ運ばれたセナの遺体は、沿道で100万人以上の市民によって出迎えられた。

モルンビー墓地はサンパウロ中心部からほど近い場所にある。重厚な入り口を抜けると、敷地には広々とした芝生が広がってまるで公園のようだった。案内板や地図はなかったが、あのセナの墓なのだ。すぐに見つけられるだろうと思って遊歩道を奥の方へと歩いていった。

芝生には一定間隔でA3用紙大の鉄の墓標が埋められているが、それらしいものは見当たらない。なんの手がかりもなかったので清掃作業をしていた人に声を掛けた。もちろん、ポルトガル語はしゃべれないが、「Senna(セナ)」というとすぐに理解して、20メートルほど先の鉢植えの花が集まっている方向を指さした。

行ってみると、たしかにプレートに「AYRTON SENNA DA SILVA」という名前が刻まれていた。生没日も間違いない。それは、周囲にある墓標とまったく同じ大きさで、広大なスペースを専有しているわけでも、柵に囲まれていることもなかった。違いといえば、やや多くの花がたむけられていることくらい。国葬まで執り行われた特別さは、お墓からは微塵も感じられなかった。

死んでしまえばみんな同じ扱いなのか…。ナポレオンの墓や、エジプトのピラミッドのように、世の中を威圧するような墓もある。だけど、ブラジルでは…セナは違った。あれだけの業績を残した人物が特別扱いされていない事実を飲み込むのに少し時間が必要だった。

呆然としてしばらくその場に立ちすくんでいると、孤高の英雄が生身の人間として迫ってきた。生きている間に成し遂げたことはとてつもないが、人生なんてほんとうに一瞬の夢のようだ。そして、みんな同じ運命が待っている。木漏れ日を通してキラキラと輝く太陽に、貧しくとも楽しそうな笑顔をしたブラジルの子どもたちの姿が浮かんだ。勇気と焦りが入り混じったような感情で見上げた木々の緑は、色の濃さをいっそう増したようだった。(編集部・今岡涼太)

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