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2018年 全英オープン
期間:07/19〜07/22 カーヌスティ(スコットランド)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

ワトソンとファルドに見る全英攻略のカギ/ゴルフ昔ばなし

男子ゴルフの今季メジャー第3戦「全英オープン」は次週、スコットランド・カーヌスティで開催。今年は松山英樹選手をはじめ、10人の日本人が参戦します。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による連載対談は今回、この世界最古のゴルフトーナメントの偉大な2人のチャンピオンを取り上げ、リンクスを制する上でのキーポイントを考察します。

■ 米国から出たリンクスの英雄 トム・ワトソン

―1860年に初開催され、150年以上の歴史を誇る「全英オープン」。最多優勝記録はハリー・バードンの6勝で、トム・ワトソンはそれに次ぐ5回(1975、77、80、82、83年)の優勝を誇ります。メジャー通算8勝のレジェンドは米国出身(ミズーリ州カンザスシティ)でありながら、リンクスで英雄になりました。

三田村 ワトソンが初めて全英に出て、優勝したのは1975年のカーヌスティ大会。リンクスコースを初めて経験して、「なんじゃこら?」と思ったそうなんだ。米国でゴルフは高いボールを打つものだ、ということを覚えてきたのに、英国では転がすこと、低いボールを打つことが大事になった。その考えは当初、頭になかったんだよね。でも彼はそんなゴルフが面白いと思った。リンクスでのプレーによって、ゴルフの幅が広がったという。

三田村 以前、(ワトソンが契約する)マスターカードのCMに立ち会ったことがあった。彼にとって忘れられない瞬間が、1977年のターンベリー大会だそうだ。ジャック・ニクラスを破った試合だ。「最終日、最終ホール、1打差でティグラウンドにやってきて第1打を放ち、残り178ydを7Iでショットした。ボールが空気を裂くように空中に舞った。グリーンをギャラリーが囲んでいた。黄色いピンが小さくても鮮明に見えた…その数秒のシーンが、僕にとってプライスレス」と。学生時代を紐解くと、ワトソンはスタンフォード大で群衆心理学を学んでいた。毎試合、3日目の夜に最終ラウンドを見据えて「あのホールでまず誰がドライバーでティショットを打ってバーディを獲り、今度は別の選手がボギーを…」といった予想を立てたそうだ。最初の奥さんだったリンダ夫人によれば、それが驚くほど当たったとか。まあ、彼女は「なぜ自分のプレーは予想できないのか」と不思議がっていたんだけどね。

■ ワトソンを支えた“テンポ”とターンベリーでの激闘

―ターンベリーで帝王ニクラスを破ったワトソンには、のちに新帝王の異名が付きました。「全米プロ」のタイトルがなく、グランドスラムこそ逃しましたが、2009年のターンベリー大会では59歳にして優勝争いを演じました。

宮本 ニクラスはボールの後ろに入ってから、アドレスするまでが恐ろしくスローだった。フックでいくか、スライスでいくか、イメージが確立していないとアドレスに向かわなかった。でも、ワトソンは逆で余計な情報を頭に入れたくない、インスピレーションを大事にして、無駄なことは省略するというようなプレースタイルだった。
三田村 ニクラスは現役時代、プレーを振り返って「きょうはよくコントロールされたボールが打てた」という表現をした。どういう意味かというと、「打つ前に自分の弾道を放物線でイメージする。ボールを落としたい地点から自分のアドレスまで、さらにボールの後ろ30㎝まで、そのイメージの線を戻す。そこに収まっているボールがよくコントロールされたものだ」と言ったんだ。
宮本 写真も同じで、イマジネーションがすごく大事。「こういう画が取れたらな、こういう画を撮りたいな」というのがない人は、ずっとうまくならない。一方でワトソンは、イメージよりもリズムを優先させていたように見えた。2009年のターンベリー。シニアで、59歳にしてレギュラーのメジャータイトルを獲りそうになった。けれどあの最終日、単独トップを走っていた終盤が今も忘れられない。彼の素晴らしさは、いつも一定のテンポなんです。ボールの地点まで歩いて、クラブを決めて、打つ。トン、トン、トン…というテンポが変わらない。それがね、最後の最後、18番で速くなった。第2打をグリーンサイドにこぼして、普段の作業が急に速くなったように見えた。ボギーをたたいて、スチュワート・シンクとのプレーオフに突入して負けた。人間ってすごい。あれだけのベテランの人でも、タイトルを目の前にすると何かが変わる。でも僕は、そこにワトソンの人間らしさを感じたけどね。

■ ミュアフィールドの激闘 サー・ニック・ファルドの名言

―英国出身のニック・ファルドは「マスターズ」で3勝(1989、90、96年)、そして全英でも3度、クラレットジャグを手にしました(1987、90、92年)。1997年にはセベ・バレステロスとともに世界殿堂入り。英国王室から“サー(Sir)”の称号を与えられたゴルファーでもあります。

宮本 ファルドは現代のゴルフを作ったひとりと言って間違いない。非常に理性的、論理的に物事を考える人だった。ファルドやバレステロス、日本ではAONの世代は、ウッドがパーシモンからメタルに替わる時期を経験した。それに順応できない選手、またはメタルになっていきなり才能が開花した選手もいた中で、ファルドはどちらのクラブにも順応した。今のようにデータが重視される以前から、数字で物事をとらえていった。陰でトレーニングへの取り組み方もすごいものがあった。時代の変化を柔軟に受け入れるタイプの人だった。
三田村 これが全英オープンなんだな…と痛感したのが1992年のミュアフィールド大会。ものすごい風と雨に選手がみな苦しんだ。ファルドは最終日にリードしてスタートするが、途中にジョン・クックに逆転されてしまう。それが15番ホールで、起死回生のバーディを奪う。それを生んだ5Iでの第2打の前、ファルドは「オレの人生をすべてさらけ出すんだ」と意を決したという(その後17番のバーディで首位タイ、18番でクックがボギーとしてファルドが逆転)。

三田村 優勝して、ファルドがめずらしく半泣きした。長いインタビューの最後のコメントが実に印象的。” I'm just an emotional little old petal.”-あれだけの激闘を経て、「俺は感傷的な小さな花びらに過ぎない」と言った。自然に歯向かっても人間は絶対に勝てない。自然に溶けてこそ、人間らしい知恵が出てくるんだと感じた。メンタリティは自分と自分ではなく、自分と自然との闘い。そういう関係性を示すのがリンクスでの、全英オープンでの戦い方だと思う。

目前に迫った今年の全英オープン。今年は2007年以来、11年ぶりにスコットランドのカーヌスティが会場になります。当地であまりに有名なのが、1999年大会での“カーヌスティの悲劇”。次回はその舞台になった18番ホールと、主役になったジャン・バンデベルデ(フランス)にスポットを当て、ゴルフ昔ばなし・全英編を締めくくります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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