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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

「日本オープン」回顧録 AON時代から“ニューエイジ”へ/ゴルフ昔ばなし

2020/10/13 17:05

国内男子ツアーの最高峰のトーナメント「日本オープン」は15日(木)から、千葉・紫CCすみれCで開催されます。伝統の大会を迎えるにあたり、ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載では前回、1970年代後半からの「AON時代」を振り返りました。第2回は1995年大会を制した伊澤利光から近年までの世代の変化を、時代の流れとともに回顧します。

■道具の変遷とともにAON時代から“ニューエイジ”へ

青木功が初戴冠した1983年から尾崎将司中嶋常幸の3人による熾烈な戦いぶりが展開されてきましたが、1995年に伊澤利光がツアー参戦2年目にして優勝を飾り、1998年に田中秀道、1999年と2000年で尾崎直道が連覇を達成しました。

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三田村 AONが日本のプロゴルフ界の歴史を築いてきたとすると、次の世代はグローバル化したというのと、ジュニアゴルファーや学生からプロ入りする選手がほとんどになったニューエイジ。研修生含め、アマチュア時代に目立った成績を残した“学生あがり”の時代へと大きく様変わりした。

宮本 その頃からクラブ、ボールも変わっていった。昔はアイアンを5年、10年と替えず、自分の気に入ったパーシモンのウッドなんかがあればそのまま、道具を替えるなんてなかなか無い時代だった。ボールも同じボールでも個体差が大きく、品質がそろわない。性能にもすごい差が出て、トッププロになれば良いボールが支給されるという仕組みだった。

三田村 宮本くんが言うように、道具の進化が若い選手も活躍できる時代を加速させた部分でもある。現代の女子プロなんかは、平均で10歳ぐらいにゴルフを始めて、10年しないうちにプロに転向して、すぐに優勝することもある。そういう現象はパーシモン時代には絶対になかった。それだけ昔の道具は扱いが難しかった。平均年齢がどんどん下がっていくスタートがちょうど伊澤が「日本オープン」(1995年)で優勝した頃だろうか。

宮本 霞ヶ関CCでの1995年大会の成績を見てみると、2位が細川和彦、3位が田中秀道。最近まさにシニア入りする前後の選手たちが、4位のジャンボを抑えている。

三田村 優勝した伊澤が「同じ6番アイアンでもギアが3つある」と言っていて、回転数を調整することで縦距離を3等分にできるんだ。でも、「アメリカに行くには5つに打ち分けられないとツアーでは勝てない」とも言っていたよ。

宮本 伊澤をはじめ若くして海外を目指す選手たちの活躍も際立った時期。田中が制した大洗GCでの1998年大会は奇跡みたいな勝ち方だった。それこそ今では18番にここから打った、っていうプレートがあるんだけど、隙間が無いの。木と木の間の60センチくらいの幅をスライスで出したんだけど、本人も「神がかっていたというか、なんで出来たんだろう」と思えるくらい。その翌1999年は尾崎直道が雨風でいっそう難関にさせた小樽CCを通算10オーバーで優勝して、PGAツアーと行き来しながら日本で賞金王になった。

■ホール間の道が人で埋め尽くされた時も

―21世紀になると、谷口徹片山晋呉がけん引した初頭から、いよいよ10代でツアーを席巻するようなスターがすい星のごとく登場。「日本オープン」は彼らの晴れ舞台でもありました。武蔵CCで行われた2009年大会。プロ入り2年目で、その年賞金王になる石川遼小田龍一今野康晴とのプレーオフで敗れました。

宮本 2009年ね、あの当時、一番入ったんじゃないかっていうぐらい人がいたね。石川はまだ18歳。最終日の優勝争いの最中、バンカーショットを打つ前にギャラリーの携帯電話のカメラ音が鳴って怒りをあらわにしたこともあった。小田は曲げたティショットが、群衆の中にいた夫人に当たってフェアウェイに出て事なきを得るという珍しいシーンもあった。

―2016年大会はPGAツアーで戦う松山英樹が優勝。予選ラウンドでアダム・スコット、石川と同組になり、4日間で大会史上最多、ツアーでは歴代2番目となる計4万5257人の観客を動員しました。

三田村 2016年もあんなにお客さんがいたのは見たことない。ホールとホールの間の通路も人で埋め尽くされていた。松山は海外で活躍して「勝って当たり前」のような雰囲気の中で勝った。すごいハイプレッシャーだったと思うけど、歴史的に残るような人間は、「勝たなきゃいけない」という時代の流れでもちゃんと勝ってしまう。

これまで1970年代から近年のチャンピオンを振り返りましたが、「日本オープン」には外国人優勝者も数々存在します。1977年からは“スペインの星”セベ・バレステロスが2連覇を達成。昨年はチャン・キムが、最終日にツアー記録に1打迫る8打差の大逆転劇を見せました。今季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で多くの外国人選手が出場できない事態となりましたが、次回は外国人選手らの偉業を掘り下げます。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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