「日本アマチュア選手権」は神戸VS横浜で始まった/ゴルフ昔ばなし
伝統を守るということ 日本初のゴルフ場・神戸GC/ゴルフ昔ばなし
2019/07/08 18:14
対談連載「ゴルフ昔ばなし」でおなじみのゴルフライター・三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏は明治時代に日本で初めてできたゴルフ場・神戸ゴルフ倶楽部を訪問しました。約450人のメンバーがいて、100年以上の歴史をいまも紡いでいます。9日(火)から三重・伊勢CC開催される「日本アマチュア選手権」も元々は当地と横浜のクラブとの対抗戦が起源でした。本編最終回は国内最古のコースが、日本のゴルフに残しているものについて考えます。
籠に乗ってゴルフ場へ
―英国商人のアーサー・グルーム氏が、友人たちの郷土への思いに突き動かされてつくった神戸ゴルフ倶楽部。1903年(明治36年)に開場し、日本最古のゴルフ場としていまもその異彩ぶりは健在です。
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三田村 六甲山にある神戸ゴルフ倶楽部はふもとから山道をのぼった先にある。当時の人たちがいかに開拓精神に満ちていたことか。神戸は港から陸に上がるとすぐに山がある。海と山が混然一体となっている特殊な地域。開場当時のメンバーたちは神戸の街から籠(かご)に乗って行ったそうだ。料金は1円。そこまでしてゴルフをしたい、クラブライフを過ごしたいという欲求があったんだろうね。
宮本 神戸ゴルフ倶楽部にはコース内に宿泊施設もあって、いわゆるリゾートクラブだったと思う。街とは気温差もあって、近くでありながら避暑地になった。クラブハウスやロッカールームのたたずまいも、日常を離れられる雰囲気を演出してくれる。ロッカールームはそのコース全体の雰囲気を表現する。木製のロッカーが並ぶこの格式の高さは、日本の他のクラブではなかなか見ることができない。
三田村 日本で最初のゴルフ場が神戸で、2番目は1913年(大正2年)にできた長崎の雲仙ゴルフ場。その後に関東では横浜が中心になっていく。すべて港町が近いというのがまた興味深いところ。
宮本 イギリスで言うところの港町、リバプールの周辺にも名門コースがたくさんある。植民地時代にアフリカからの船が往来し、貿易港として栄えた地域。やはり違った文化が混じることで、変化したり、新しいものができたりする。違うものが合わさった時の“化学反応”はいつの時代もおもしろい。日本ゴルフの発祥である神戸もそういう地域性がある。
遊び心と関西気質
三田村 神戸ゴルフ倶楽部の開場時、始球式を行ったのは当時の服部一三・兵庫県知事だった。それから100年が経った2003年の記念行事では、当時にならい、これまた井戸敏三・知事(現職)を呼んで始球式をしたんだ。ヒッコリーのクラブ、昔のボールを使ってね。
宮本 2017年には倶楽部が毎年6月の「六甲山グルーム祭」に参加して、またおもしろいイベントをやったとか。
三田村 100年以上前のメンバーが籠に乗って山を登ったように、グルームさんの子孫を籠に乗せてクラブまで運ぶ、というのを企画したんだ。男性は昔のようにニッカボッカ、女性はロングスカートを着てゴルフをし、その後のメンバー勢そろいの記念撮影も当時を再現するような画にした。ゴルフ場はもちろん“遊び”から始まったが、遊びを“本気で”やるところは、いまも引き継がれているみたい(笑)
宮本 そこは神戸、関西に住むみなさんの気質も影響しているのかな。クラブハウスに入ったときの空気感も、東京、関東にはないものを感じる。神戸、大阪、京都は遊びを知り尽くしている人たちの文化かも。ここは100年以上前につくられたゴルフ場にして、お酒を飲めるすばらしいバーもハウスにはある。ゴルフだけを楽しむのではなく、クラブライフの原型ともいえる姿がある。
三田村 ガチガチに競技に徹することだけが、ゴルフクラブのメンバーになる喜びではないはず。オーガスタナショナルGCにはクラブハウスの地下にワインセラーがあって、あるメンバーが亡くなったとき「このワインの請求書は私宛に送るように」なんていう遺言状を残したそうだ。そういうジョーク、遊び心が楽しい。神戸でもグルームさんが好んだダンピーというウィスキーを100年経って復刻させたり、「当時のサンドグリーンを再現しよう!」なんていう声もあったりする。そこにはハンディキャップがどうの、飛距離がどうの…というのは違う楽しみ方だよね。ゴルフ談義をするにしても、当時の方が、話題が歴史や地域の問題など多岐に渡ったんじゃないだろうか。
宮本 冬の間、クローズ時の神戸ゴルフ倶楽部にお邪魔させていただいたが、コースには切り取られた芝生が積んでありましたね。
三田村 あれは、同じ兵庫県内の廣野ゴルフ倶楽部からもらったものだそうなんだ。植え替えて、神戸のフェアウェイになるんだって。そういう、単なる“ライバル意識”や、いがみ合うような関係性ではないものが、関西のゴルフ場にはあるようにも思う。
“ライカ”に通じるもの
―神戸ゴルフ倶楽部には100年以上の伝統を守り続ける精神と、ゴルフ場の原風景といえるような様子がいまも残っています。一方、近代的なゴルフコースでは、整備が行き届いたコースセッティングはもちろん、電動カートやGPS機能を使った距離計測装置など、最新鋭のシステムを導入するところも多くあり、ゴルファーにより優れた“スコア”をバックアップする姿勢がうかがえます。神戸GCを初めて訪れる人は、ひょっとしたら、このノスタルジックなゴルフ場に驚いたり、不満を抱いたりするゴルファーも多くいるかもしれません。
宮本 確かにそうかもしれないね。18ホールでたった4049yd、パー61。クラブも10本までしか使えない。「これじゃ試合ができないじゃないか!」「グリーンでボールがキレイに転がらないじゃないか!」なんて不満をこぼすゴルファーもいるだろう。でも、ここでは自分が何をしたいか、こういう風景と向き合ってどう感じるのか、ということを試されているようでもある。
三田村 神戸でプレーして「もうあんなところで二度とプレーしたくない」という発想もあるかもしれない。ただ、ゴルフは元来、棒切れと石ころで始まった。もちろん18ホールでもなかった。前にここでプレーしたとき、体力に自信がなかったから「全部は回れないな…」と思っていたら、クラブの方が「6ホールだけ回るルートがあります」と教えてくださった。自分の身体や体調に合わせて気軽にプレーできる。ゴルフは“遊び”から始まって、今でも多くの人にとっては楽しい遊びであることを、神戸は感じさせてくれた。それにね、整備が行き届いているコースだけでプレーすることが、上達につながるとも限らないよ(笑)。ジャンボ尾崎が昔、「ベアグラウンドでの練習が一番良い」と話していたことがある。土から練習することが、芝での成功にもつながる、と。
宮本 明治の時代に日本が大きく変わったことを、ゴルフを通じて強く感じさせてくれるのも神戸ゴルフ倶楽部でしょう。長く鎖国が続いて、違う文化、違う考え方に対してナーバスになりがちだったが、神戸や長崎、横浜といった港町には異文化を受け入れる姿勢があった。食べ物も、そしてスポーツも。そういう街の雰囲気というのはなんとなく“ハイカラ”で、他の街とは異なる雰囲気を生み出す。それが今も保存されていることがありがたい。これはひとつの宝物。次の世代に残していくのは我々の責任だと思う。僕たちは文明社会に生まれたが、たまにスコットランドに行って時計が止まったような景色を見て、モノがなくても十分に幸せかもしれないと感じることがある。あるいは、人間は便利さを追求ばかりして、どこに行きつくんだろう、何を求めているんだろう…と。歴史に触れることは、そういう風に自分を見つめ直す機会でもあるんだ。
三田村 便利さと不便さ、人間にはそのバランス感覚を取っていたいという本能が携わっているはず。打ったボールが坂道でどう転がっていくか分からない、思いもよらない結果が待っているのも、神戸でのプレー。それって、“ライカのカメラ”の発想にも似ている。ライカって、デジタルになっても撮った写真をその場で見られるディスプレイが付属してないモデルも多い。その場で、ちゃんと写っているかどうか分からないわけ。カメラの中身は最新鋭なのにね。
宮本 だからワクワク、ドキドキする。その場ですぐには分からない、“開けたときの中身”を想像する喜びが込められた“遊び”にも思う。それを100万円なんかで売るんだから(笑)
三田村 ゴルフって本来、そういう遊びやおもしろさがあるんじゃないかな。
宮本 写真家の仕事はイマジネーションが大事。それはどんなに新しく、優れたカメラを使っても同じなんだ。20世紀の初め、港町からどうやって山を切り開いて、仲間たちを集めて、ゴルフ場をつくったのか…。そんなエネルギッシュな人々、時代を想像して思いをはせる。そんな喜びが神戸ゴルフ倶楽部にはある。
- 三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
- 1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。
- 宮本卓 TAKU MIYAMOTO
- 1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」