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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

「日本アマチュア選手権」は神戸VS横浜で始まった/ゴルフ昔ばなし

2019/05/07 20:00

日本で初めてゴルフ場がオープンしたのは今から116年前、1903年(明治36年)のことでした。対談連載「ゴルフ昔ばなし」を展開するゴルフライターの三田村昌鳳氏、ゴルフ写真家・宮本卓氏は、国内初のコース・兵庫県の神戸ゴルフ倶楽部を訪問。英国から来た商人、アーサー・ヘスケス・グルーム氏によってつくられた日本ゴルフの“聖地”の物語をたどります。

“ボギー78”から“パー61”の時代に

―六甲山につくられたプライベートコース、神戸ゴルフ倶楽部は山を切り開いた丘陵コース。冬の間は雪が降ることもあってクローズになります。スコアカードを見ると18ホールでパー61。距離としてはバックティで4049yd、フロントティは3851ydしかありません。

宮本 18ホールのうち、パー5はひとつもなくて、パー3が11ホール、パー4が7ホールという構成になっている。
三田村 開場の2年前、1901年当時は4ホールだけだった。オープンした1903年に計9ホール。翌1904年に18ホールになった。当時は「3576yd、ボギー78」という設定だったんだよ。

宮本 パー78ではなくて、“ボギー78”という時代ですね。
三田村 昔は「4」で設定したホールを実際に「4打」で上がるなんてことは考えられなかったから、それを“オバケ”という意味のボギーとしていた。ところが20世紀に入り、糸巻きボールが主流に(誕生は1899年)なってから、ゴルフは大きく変わった。それまでの樹液を固めたゴム製のガッタパーチャボールよりも、糸巻きは40yd近く飛んだというからね。「4」を「4打」で上がることが増えてきて、その後パーと呼ばれるようになったんだ。
宮本 クラブハウスに入ったときの空気は東京、関東にはないものを感じる。シンプルで伝統を感じさせる一方で、気軽にお茶を飲めるような気持ちのいい雰囲気がある。関西のゴルフ場には、どこか神戸や大阪、京都といったところで“大人の遊び”を知り尽くした人たちの社交場のようでもある。

アップダウンとブラインドホール

宮本 実際にコースを歩いてみると、非常にアップダウンがある。ティからボールの落としどころやグリーンが見えないブラインドのホールが多い。この土地、地形の“あるがまま”を生かして作られていることが分かる。
三田村 地形的な要素から、ここは夏場でも神戸の港とは気温が2、3度は違う。だからメンバーは冬場には近隣の別コースでもプレーした。昔の方が季節や生活とゴルフがより密着していたように思う。神戸ゴルフ倶楽部には、コース内に住所を示す石碑も残っていておもしろいよね。

宮本 高低差の大きなホールでは、地面に背の高いポールが立てられている。これはショットの目標物になるもので、スコットランドなんかのコースでは珍しくない。僕はこの神戸ゴルフ倶楽部に来て、英国のプレストウィックGCを思い出すなあ。1860年の第1回大会をはじめ、12回「全英オープン」を開催したコース。打ったショットが、その場からはどこに落ちたか分からない仕掛けになっていて、ボールを見つけるまでにドキドキする。ブラインドホールになると、最初は「どこを狙えばいいの?」ってビックリしちゃうんだけど、ツアープロなんかとは違って、我々のエンジョイゴルフでは、“だいたい”で打っておけばいいんだよね(笑)。狙ったところに打てれば、地形がグリーンの近くまでボールを運んでくれるし、それがゴルフの楽しさでもある。セルフプレーが盛んな米国では自分で解決するのがゴルフとも言われるよ。
三田村 昔に比べて、今はキャディに頼りすぎるゴルファーが多いのかもしれないね。ここでは自分で決める、自分で判断するという経験を蓄積できると思う。神戸ゴルフ倶楽部は「グルームからの伝言」というゴルファーの手引書になる小冊子を作った。ゴルファーにエチケットやマナーを説いているが、その中には「わたしたちは留吉たち(宮本留吉/当地でキャディを務めていた)にいちいち聞いたりなどしなかった。距離や傾斜を読むのも、プレーの内だ。うまく打てたら、自分の手柄。しくじったら、笑ってくやしがればよい」ともある。

18ホールすべてに愛称が 1番はお酒の名前

―プレストウィックGCや「マスターズ」の会場オーガスタナショナルGCのように、神戸ゴルフ倶楽部の18ホールにはすべて愛称がつけられています。

三田村 1番ホール(180yd、パー3)はダンピー(Dumpie)という。これは、グルームさんが好んで飲んでいたウイスキーのことなんだ。実際にはそういう銘柄はないらしくて、ボトルの形をダンピーと呼んだことから来ているらしいけれど…。クラブの開場100周年の際にはこの酒を復刻してメンバーに配ったんだ。
宮本 ここでホールインワンを達成したゴルファーにはクラブからこのダンピーをひと箱プレゼントする“習わし”もあったそうですね。2番(176yd、パー3)は神戸(Kobe)。昔はこのホールから神戸の街並みが一望できたところからつけられた。
三田村 そういう遊び心があるんだね。競技にガチガチに徹するわけではなく、ゴルフを軸にしたクラブライフ、ライフスタイルの様子が感じられる。ゴルフはあくまで話題や楽しみのひとつ。気兼ねなく遊べる社交ツールだった。

【参考】神戸ゴルフ倶楽部の18ホールの愛称とその由来(ページ下段)

神戸は横浜が嫌い!? クラブ対抗から始まった日本アマ

宮本 5番ホール(202yd、パー3)はヨコハマ(Yokohama)となっている。砲台グリーンに乗せるには200yd近いキャリーが必要で、グリーンに近づけば近づくほどピンが見えないタフなパー3だ。
三田村 歩いていると、とんでもない丘に上がっていくようなホールで、パーが獲りにくい、すごく難しい、イヤなホールなんだ。もちろんこれは横浜を指している。同じ港町は神戸にとって最大のライバルでもあった。神戸ゴルフ倶楽部ができたのが1903年。横浜に住んでいたイギリス人は1906年、ニッポン・レースクラブ・ゴルフィング・アソシエーションを根岸に創った。1907年から両クラブの対抗戦を始めたが、これが今も続く「日本アマチュアゴルフ選手権競技」の原型だ。いわば居留地の交流戦で、のちに東京クラブも加わることになる。神戸のメンバーが嫌いなホールの愛称に横浜を持ってくるあたりがシャレているよね。

神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウスには、歴史的な品の数々のほか、ラウンド中に使用されるキャディバッグが並べられています。倶楽部では今も、ゴルファーの使用クラブが10本までに限られています。次回は当地でのキャディの歴史と女性ゴルファーの参画について語ります。

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三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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