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女子ゴルフ界に多大な影響を与えた朴セリの栄光と苦労の日々

朴セリは黒いメルセデスベンツのスポーツ・ユーティリティ・ビークルをベイ・ヒル・クラブ&ロッジの駐車場に乗り付け、プロショップへ行き、その後コーチのトム・クリービーとのラウンドを始める前に練習場で練習を始めた。雲に覆われた2月の朝、朴セリは数名と挨拶したが、ほとんど気づかれることはなかった。

6年間LPGAでキャリアをつんだ朴セリだが、母国の韓国以外では彼女の実績は軽視され、当初はカリー・ウェブに、最近ではアニカ・ソレンスタムの脇役扱いされている。

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26歳の朴セリは通算21勝を挙げている。これはメグ・マーロンの15勝、ロージー・ジョーンズの13勝を上回る優勝回数だ。また、朴セリは4大大会でも4勝しており、ナンシー・ロペス(3勝)及びベス・ダニエル(1勝)を上回る。クラフトナビスコ選手権のタイトルを勝ち取ればキャリアグランドスラムとなり、LPGAゴルフ殿堂の仲間入りをする。

ゴルフ関係者は、「彼女は非常に我々のために貢献している」彼女の重要性(その一つが韓国での女性の間のゴルフブームを引き起こしたこと)を良く理解している。またデビューした1998年LPGAには2人の韓国人選手が所属していたが、現在は20人の韓国人選手が参戦しており、「彼女のおかげで韓国の放映権料、及び商品化権料を獲得することが可能になり、また定期的に韓国で大会を開催できるようにもなった。過去6年で彼女は他の選手を遥かに超える経済的インパクトをLPGAにもたらした」と、LPGA理事タイ・ボータウが説明した。

時が過ぎるとともに朴セリは皆の尊敬を実感し始めている。しかしソレンスタムの影が常に待ち受ける。「多くの人が私のことを認識し始めている。私の名前はトップ選手と同じ位置にあり、皆私がトップ選手であることを知り始めている。そう思うと嬉しくなる」とやや自慢げに彼女は語った。「でもアニカの功績ばかりが認められ、毎週どこを見てもアニカに関する質問ばかり。彼女は素晴らしい選手だし認められて当然だと思うけど私は彼女のすぐ後を追っている」。

ソレンスタムもこれに合意。「彼女は軽視されてきた。彼女は注目を求めるタイプでもないし、また受けるに相応しい称賛を得る事ができていない。でも彼女は素晴らしい選手だということは実績を見れば一目瞭然。努力家だし、落ち着いていて一貫しているため、常にどの大会でも優勝候補だ」とソレンスタムは言う。

昨年シーズンの開幕ウェルチ・フライズ選手権で朴セリは予選落ちしたが、その後3度優勝し、残り25大会の内20大会はトップ10位以内で終えている。彼女が獲得した年間賞金は3年連続100万ドルを超えたが、賞金王には一歩足りなかった。

ソレンスタムに続く2位の座は確実に獲得したが、多くの場合ウェブ、ジュリー・インクスター、及びグレース朴のような"次位"選手と同じカテゴリーとしてみなされている。

3年間朴セリのキャディを勤めてきたコリン・キャンは1990年代後半、ウェブが一流選手として勝利を重ねていた時代、ソレンスタムのキャディを5年間務めた。短期間グレース朴のキャディとして務めた後、キャンは朴セリのために帰ってきたが、依然ウェブ時代にソレンスタムが軽視されていたように、朴セリが軽視されているのを理解している。

「PGAツアーのタイガー・ウッズと他の選手のようだ。セリは3、40年に一度現れる選手、フェノメナン(現象)が起こっている時代にプレーしている。この現象が無かったら彼女は今頃ナンバー1だ。彼女にとっては悔しいことかも知れないが、さらに努力するきっかけにもなっている」とキャンは述べる。

デビッド・レッドベターの弟子だったクリービーは3年以上朴のコーチを務め、2人は着実に素晴らしい仕事関係を築いてきた。1月中旬から毎日4時間、週6日間練習を行っている。最近は朴セリのグリップに集中している。グリップが多少弱いため、クラブフェースとのインパクトがオープンになりやすい。

2人は彼女の下半身を安定化させ、ダウンスウィング及びスウィングスルーの時にクラブが彼女の体の前に来るように努力している。これは最終的に成功への鍵になるとクリービーは言う。今年各ラウンド平均パットでトップ10を持続することができれば最低5回は優勝できると彼は言う。

「2人で長い時間練習を重ねなければならないが、退屈にならないよう様々なものを取り入れている。練習は単純だが、何故これらの修正が必要かを彼女が理解するために必要な詳細は教えている。これらを教えることにより、私が彼女と一緒にツアーに行けないときでも、彼女のプレーが完璧でない時に何故思い通りにいかないか十分理解して修正できる」とソフィー・グスタフソンもコーチしているクリービーは語った。

朴セリは、1998年に20歳の若さでLPGAにデビューし、マクドナルドLPGAチャンピオンシップ及び全米女子オープンを優勝した。同年あと2つ優勝し、ロレックス新人王に輝き、ソレンスタムに続き2番目となる872,170ドルの賞金で1年目を終えた。

すでに世界を手玉に取っているように思われるが、朴セリはハッピー(満足)していない。しかし皮肉にも初めて覚えた英語は「ハッピー」だったし犬の名前もハッピーだ。「(20歳にして)全てを受け入れるのは若すぎた」と彼女は言う。

英語をほとんど喋らない内向的な若い彼女にとって、米国での生活、LPGAで活動しながら新しい文化に慣れることは難しかった。当初彼女の性格はパッとしないと思われていたが、彼女を知ればこれがまったくの誤認であることが分かる。

「何故か分からないけど人とすぐ親しくするのが難しい」と朴セリは言う。「でも一度会ってしばらく話し合うことができれば親友になれると思うけど」。2000年は朴にとって最も孤独な1年だった。一度も勝利できず、賞金でもトップ3位に入れず12位に終わった。その時に初めて自分の私生活に満足していないことがプレーに悪影響を与えていることに気付いた。長年付き合った彼と別れ、その傷をゴルフ場で癒そうとしたが無理をしていたようだ。1日が長く感じ、孤独で眠れない夜は長くなる一方だった。

しかし時がその傷を癒し、ロペス、ロリー・ケーン、ジャニス・ムーディーといったLPGAの選手がツアーに順応するのを手伝ってくれた友人だと朴セリは言う。 妹のアエ・リ及び姉のヨーリは、過去数年一緒にツアーに同伴し彼女を元気付けた。しかし、昔のように頻繁に姉妹は朴セリとツアーに同伴することはできない。

彼女はホームシックになるが、以前のように家族に頼ることはない。「自分やツアー、家、そのほか全てが好きだからプレーも良くなってきている。最初の数年、色々楽しもうとしたけど駄目だった。 もっと上手にプレーするように自分をプレッシャーをかけてきたけれどかけすぎた。それ以来、プレーより自分の心の準備をまず整えるようにしている」と昨日60万ドルの家を売り、オーランド市に新しく120万ドルの家を購入した朴は語った。

パズルの全てのパーツがはまり始めている。最後のパズルのピースは長年彼女が夢見てきた形で現れる。それは世界の女子ゴルフ界のトップの座と、それに伴う大きな名誉を得る価値が彼女には十分ある。「できれば早く私の時代にしたい」と彼女は述べた。

Golfweek

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