なに震えてんねん “勝ちに行って”日本で連覇/古江彩佳 2022年末インタビュー(2)
米ツアー初優勝は「運が良ければ」から始まった/古江彩佳 2022年末インタビュー(1)
2021年末の米ツアー最終予選会を7位で通過し、古江彩佳は日本を飛び出した。米国で27試合を戦って7月「トラストゴルフ スコットランド女子オープン」で米初優勝。10月には国内ツアー「富士通レディース」で大会連覇を果たした飛躍の一年を単独インタビューで振り返る。前編は米挑戦、初優勝について語った。
「楽しむ」と飛び込んだ予選会
「負けん気は、強いほう。根っこや芯はちゃんとあるけど、あんまり外には出さない。ポーカーフェイスの方が相手にも分からないから」
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もともと、闘志や競争心は内に秘めるようにしてきた。自然体で淡々と「まずは楽しんでやってみる」と気負い過ぎることも少ない。そんな性格が導いた、米ツアー挑戦の序章だった。
「“ガッツリ海外”というイメージは全くありませんでした。スポットでメジャーに出られたらな、というくらい。自分がジュニアのとき、憧れている選手が海外に行くことが寂しかったというのもあったりして。日本のツアーで長くやれたらなって、思っていました」
ぼんやりと、日本を主戦場にするものだと思っていた。20-21年はシーズン6勝と順調に勝ち星を積み上げ、賞金ランク2位(メルセデスランクは1位)に入った。米ツアー予選会への挑戦は、ちょっとした“海外遠征”くらいの気持ちだった。
「ファイナルから予選会に行けるところまで世界ランキングが上がって、チャレンジしてみようかなって。先輩プロには“1歳でも若いうちから行った方がいい”とアドバイスをもらって、それならと。コロナ禍で海外に行ける機会も少なかったので、海外でゴルフを学ぶという意味もありました」
「時機を待つということもなく、あまりいろいろ考えすぎずに挑戦しましたね。運が良ければ参加、楽しめたらな、という感じで」
予選会で7位に入って米ツアー出場権をつかむと、渡米は迷わなかった。一方で「ずっと日本の試合に出ることに憧れていた」という思いも消えていなかった。22年は日米合わせて31試合に参戦。慌ただしい新生活が幕を開けた。
「怖がり過ぎていた」予選落ち
ツアーメンバーとしての初戦「ゲインブリッジLPGA at ボカリオ」は18位。5月「バンク・オブ・ホープLPGAマッチプレー」は2位に入るなど、気付けば予選落ちなしで10試合を終えていた。「メリハリがないまま、なんとなくでずっと来ていて、でも予選落ちしたくないというのは頭の中にありました」
恐れていた予選落ちが現実となったのは6月「全米女子オープン」。通算7オーバー101位で終わった海外メジャーは「すごく悔しい、もったいない」と思う反面、ふっ切れた部分もあったという。
「リフレッシュ、ではないけど気が抜けたところはありました。まず4日間戦いたいというのがあって、安定に走りすぎていた。攻めないとスコアも出ないし、そこは怖がり過ぎていたのかも。1回予選落ちを経験したら怖さがなくなって、自分のプレーができるようになった感じはありました。今思えば、落ちて良かったかなと思っています」
「打てば、入る」 猛追の初優勝
「初優勝のときは思いっきり、自分のゴルフに集中して楽しめていました」。 気持ちの切り替えが、優勝という結果に結びつくまでは早かった。7月「トラストゴルフ スコットランド女子オープン」で最終日に「62」をマークして4打差から逆転優勝。大会最多アンダーパー記録の通算21アンダーで、2位のセリーヌ・ブティエ(フランス)に3打差をつけての勝利だった。
「上位の選手層が厚かったし、毎日スコアも伸びていた。諦めてはいないけど、優勝を狙うという感じはあまりなかったと思います。ちょっとでも順位を上げられたらなって」
優勝を意識したのは6連続バーディで首位に並んだ11番。「意識した瞬間に止まったんですけど(笑)。17番で特に思ったんですが、パッティングは“打てば入る”という感覚でした」
リーダーボードの頂点に立つ自分の名前を確認し、17番で7mを決めて2位とは2打差。最終ホールを10個目のバーディで締め、「ルーキーイヤーで優勝できるとは思っていませんでした」 。想像していたよりもはるかに早く、チャンピオンの仲間入りを果たした。
「40代でもゴルフ」 未来図は
同期のアタヤ・ティティクル(タイ)や1学年下の笹生優花らと食事に行ったのは11月のこと。話題はゴルフに限らず、ガールズトークに花が咲いた。
「髪色が似合っているよとか、染めるのに何時間かかったとか…。やっぱり友達と話していると楽しい。簡単な英語を並べてくれたら、大体の会話は分かるようになってきました。答えるのは、ちょっと難しいんですけど」
勉強中の英語を駆使しながら、米ツアー優勝者らと肩を並べて食事を楽しむ。数年前には想像していなかった自分の姿だ。プロ入り当初に考えていたキャリアプランでは、30歳までに“ママさんゴルファー”になって日本でプレー。舞台が海外に変わって、そのマイルストーンも少しだけ変わりつつある。
「20代で子どもを持って復帰して、勝ちたい――っていうのが、“海外の話がなかったパターン”。米国に来てもその目標は基本は変わらないんですけど、今はまずゴルフ。長くやりたいというのはずっと思っているので、元気であれば40代でもやりたいです」と、世界最高峰のツアーで戦える日々を全力で楽しんでいる。
「いろいろな国やコースに行けて、強くなれる要素がたくさんある。こんな経験はなかなかできないので、ありがたみとうれしさを感じながらやっています。3歳から夢見たことを職業にできているのがうれしい。何より人生、やっぱり楽しみたい」
(聞き手・構成/谷口愛純)