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原発事故とゴルフ場 向き合った風評とイノシシ

福島・いわき「バイロンネルソンCC」齋藤さんの10年

東京電力福島第一原発事故は、被災地のゴルフ場の光景も一変させた。風評被害の影響は大きく、閉鎖に追い込まれたところもある。そんな中、同原発から約50kmに位置する福島県いわき市の「バイロンネルソンカントリークラブ」は風評の払しょくに努め、「なくなったゴルフ場の思いも背負って」いまも営業を続けている。東日本大震災の発生から10年を前にした10日、齋藤貴之支配人を現地に訪ねた。

プレー続ける客に「拍子抜け」

2011年3月11日午後2時46分、当時39歳の齋藤さんは用事でゴルフ場を離れ、いわき市内の別の場所にいた。大きな揺れを感じた後、妻と3歳の息子がいる自宅の様子を見に行くか迷ったが電話で無事を確認できたため、ゴルフ場に戻った。すると、コンペのパーティや表彰式は行われており、プレーを続けている客もいて拍子抜けした。「実は3月11日はかなりの揺れではあったのですが、ゴルフ場に被害はほとんどなかった」という。

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それでもテレビから飛び込んでくるニュースを見ているうちに事態の深刻さを感じ「営業している場合じゃない」と客にプレーをやめさせて安全を確保した。客と従業員を帰宅させ、齋藤さんも普段なら車で15分の道のりを1時間かけて帰った。JR常磐線泉駅近くの高架橋の途中に段差ができ、徐行を強いられたため長い渋滞ができていたのだ。

ゴルフ場は、津波で大きな被害を受けた小名浜地区から車で30分ほどの距離に位置する。津波が到達することはなかったが、小名浜に住んでいる従業員は自宅が被害に遭った。高台にある齋藤さんの自宅は水道が止まり、水道被害のなかった市内の妻の実家で過ごした。

「会社を捨てて逃げました」

後に最も深刻な「レベル7」と評価されることになる原発事故では、放射性物質の影響について情報が錯綜していた。「たしか2回目の(水素)爆発が起こる前でしたが『東電の社員さんが逃げている』っていううわさを聞いて、いよいよやばいと思ったんです」と3月14日にいわきを離れる決意をする。「会社を捨てて私は逃げました」。群馬県のみなかみ町役場で被災者を受け入れているという情報を得ると、わらにもすがる思いで「ダメもとで電話してみた」結果、受け入れてもらえることになった。

「子どもが小さかったこともあり、一時は避難しちゃったんです。出勤していた人や会社には申し訳なかった」。営業は停止していたが、数人のコース管理課の従業員は再開に備えて芝の手入れを怠らなかった。後ろめたさを感じながらも、目に見えない脅威から家族を守るのに必死だった。当時は「二度といわきに帰れないのではないか」と絶望し、「マイクロバスの運転ができるので、旅館の送迎ならできるかな」とみなかみ町で職を探すつもりにもなっていた。しかし、2週間ほど過ごすと「さすがに会社のことも放っておけなくなった」と妻子を残し、一人でいわきに戻った。

1カ月後

余震は続いていた。帰宅中だった4月11日午後5時16分、運転していてハンドルを取られた。「大きく揺れたなあ、くらいに思っていたんです」と連日の余震によって、揺れに対する感覚も麻痺していた。翌日出勤すると、クラブハウス内のショップの棚は倒れて商品が散乱していた。建物を抜けてコースを見渡せる場所に出ると、目を疑う光景が広がっていた。

西コースでは7番のグリーン奥から9番のフェアウェイにかけて土砂崩れがおき、フェアウェイを生臭い土が覆っていた。南コースでは2番フェアウェイ左の崖が崩れ、9番のフェアウェイに大きな岩がゴロゴロと転がっていた。「言葉が出なかった」。東コースに大きな被害がなかったこと、井戸水を利用しているため水道が止まらなかったことは不幸中の幸いだった。

開店休業

復旧工事を始められたのは6月。「西コース9番のフェアウェイ横の丘は今でこそ草が生えてそれなりですけど、当時はグランドキャニオンかってくらい山肌が丸見えだった」と振り返る。13人前後のコース管理課員も総出で、石や土で埋まった側溝を掘り起こすなど工事を手伝った。「9番の斜面を固めるだけで6000万円ほど」と費用もかかった。

約1カ月間の工事を経て、7月中旬に南コースと東コースで営業を再開した。しかし「正直、原発の風評被害が大きかったと思います。福島イコール原発。いわきも危ないぞ」と客足は遠のいていた。特に首都圏からの客は「全く来なくなった」。毎年、夏には大学ゴルフ部の合宿を誘致していたが「危険なのでやめます」という返事が続いた。「開店休業って感じで、しばらくは暇でした。今でこそ月に5000~6000人入りますけど、当時は一日100人程度、月で3000人程だったと思います」。それでも、年内には被害が一番大きかった西コースも営業を再開した。

原発事故の影響でイノシシ狩猟が行われなくなったため、野生のイノシシが急増し「コースの地面を荒らされて、めちゃめちゃになってしまった」と、その後は思わぬ被害とも格闘した。現在は周囲に電柵を張って、コース内に入ってこられないようにする対策を講じている。

うれしい言葉、傷つく言葉

震災前は、冬になると観光バスに乗ってきて宿泊プランを利用する新潟県や山形県からの団体客が常連だった。心配や激励の言葉もたくさん届いた。2012年秋ごろからは「とにかくお客さんを戻さなきゃいけない」という思いで、線量の値を調べて資料にまとめ「もう問題ないので、安心してまた来てください」と説明に奔走。今では、首都圏を除く来場客数は元に戻った。

「あっという間でしたね。もう10年経ってしまったのかという感じです。今となっては覚えていないことも多いです」とあっけらかんとする。一方で「やっぱり風評被害はきつかった。そこ(福島)で普通に生活している人たちがいるのに『放射能まみれの場所には行けないよ』と言われたこともありました」。10年の間に浴びせられた心ない言葉は、傷ついた心がしっかりと覚えている。

「がやがやしているゴルフ場に」

近隣の「いわきプレステージカントリー倶楽部」や「いわきゴルフクラブ」は震災後、閉鎖に追い込まれた。「ゴルフ場がどんどん減ってきています。いわきを代表するコースとして、なくなっていったゴルフ場さんの思いも背負って、普通の営業ができれば」と語る。

27年前の開場時に22歳で新卒入社し、現在49歳。昨年12月に支配人になった齋藤さんは「暇よりは忙しい方がいい。にぎやかなゴルフ場、常にがやがやしている活気のあるゴルフ場を目指したい」と意気込む。

この日は「榮川(えいせん)杯」という、地元の酒蔵が主催する200人規模のコンペが開催されていた。マスク姿で参加賞の一升瓶を抱える大勢の地元客たちを背に「実はそこには到達しているのかもしれないですけどね」と少し誇らしげに胸を張った。(福島県いわき市/柴田雄平)

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柴田雄平(しばたゆうへい) プロフィール

1977年生まれ。身長は188cm。猫好き。モデル、俳優業から紆余曲折を経てGDOニュース編集部へ。GDOモテゴル研究部ではシバッバとして活動する。出張が多くなったが「地方のビジネスホテルに一人で泊まるのが苦手」というクリティカルな問題を抱えている。ツイッター: @shibabba

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