「たかがゴルフだ」がんサバイバー ダーメンの信念
欧州ツアー1勝のフレドリック・アンダーソン・ヘッド がんのため49歳で死去
2021/10/27 13:55
ヨーロピアンツアーで優勝経験のあるスウェーデン人ゴルファー、フレドリック・アンダーソン・ヘッドが10月24日、がん闘病の末に49歳の若さで亡くなった。
フレドリック・アンダーソンの名で知られていたアンダーソン・ヘッドは、2004年に結婚した際、妻の苗字を自分の名前に加えた。夫妻には2人の子供、ビーゴとモリーがいる。
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ハルムスタードで生まれ、10歳でゴルフを始めると、同年に出場した大会で優勝した。才能豊かなアマチュア選手として名を上げ、1990年には「欧州ヤングマスターズ」と「スウェーデンジュニアストロークプレー選手権」で優勝を果たした。
その2年後に、スウェーデン代表の一員として出場した「欧州ユースチーム選手権」でチーム戦での成功を謳歌すると、同年の「アイゼンハワートロフィー」でも、マックス・アングレート、リカート・ストロンガート、そして未来の「ライダーカップ」出場選手であるニコラス・ファスとともにスウェーデン代表としてプレーした。
プロ入り後、キャリア序盤の2003年にヨーロピアンチャレンジツアーの「トヨタPGA選手権」で優勝を果たした。その7年後にル・テゥケでチャレンジツアー2勝目を挙げると、何度も挑戦したQスクールを経てヨーロピアンツアーでの地位を確立させた。
このハードワークと忍耐力は2010年に実を結んだ。ヨーロピアンツアー出場245大会目となった同年の「イタリアオープン」で、6打差を猛追したイングランドのデービッド・ホーシーを1打差で退け、優勝を遂げたのである。
この年はアンダーソン・ヘッドにとって最も実り多きシーズンとなり、「BMW PGA選手権」での2位、そしてそれ以外の5回のトップ10入りも手伝い、年間ランキングで22位に入った。このトップ10入りには、世界的なスター選手であるアーニー・エルスやタイガー・ウッズと競い合った「WGC HSBCチャンピオンズ」での6位タイも含まれる。ちなみに、同大会ではその後メジャー王者となり、「ライダーカップ」のスター選手にもなったフランチェスコ・モリナリが優勝を果たしている。
アンダーソン・ヘッドはその翌年に欧州代表として「ロイヤルトロフィー」に出場。同大会では、コリン・モンゴメリー率いる欧州代表が9-7でアジア代表を下している。彼はその後もヨーロピアンツアーで優勝争いを繰り広げ、2011年の「スコットランドオープン」、そして2012年の「オメガヨーロピアンマスターズ」と「香港オープン」で2位に入っている。
アンダーソン・ヘッドは2015年にゴルフから引退。ヨーロピアンツアーでは358大会に出場し、優勝1回、2位6回、トップ10入り31回、予選通過191回という成績を残した。
ヨーロピアンツアーの最高執行責任者、キース・ウォータースは彼に敬意を表し、次のように述べた。
「ヨーロピアンツアーを代表して、フレドリックの家族と友人、特にアンナ夫人とお子さんのビーゴとモリーにお悔やみを申し上げます。いつであれ、我々ヨーロピアンツアーのファミリーを失うのは悲痛の極みであり、フレドリックのようにあまりにも早く逝ってしまう場合はなおさらのことです」
「フレドリックはゴルフ界を超えて愛された人であり、特にスカンジナビア出身の選手やスタッフの間において、過去も現在もそうでした。そうした人々の心痛をお察し申し上げます」
「私はフレドリックと知己を得る光栄に浴しましたが、そうでない人々にとっても、彼のキャリアにおける成績を一瞥するだけで、彼の力と忍耐力をうかがい知ることができ、個人としても、大切なチームメイトとしても、本当に素晴らしい時間を共有しました。そうした素晴らしい思い出、そして彼がゴルフコースにもたらした多くの喜びが、彼に近しい人々にとっての慰めとなることを願っています」