美しきペブルビーチの魅力と「全米OP」/写真家・宮本卓
2019年 全米オープン
期間:06/13〜06/16 場所:ペブルビーチGL(カリフォルニア州)
嗚呼、ぺブルビーチは遠くになりにけり
2019/06/13 07:30
ああ、あの頃、ちょっと無理してでも行っておけばよかったなあ、と思う場所は幾つかあるが、今週開催される全米オープンの会場、ペブルビーチGLは、そのひとつである。ペブルビーチは、メジャー大会の会場の中では、数少ないパブリックコースであり、世界中のゴルファーが一度はプレーしたいと憧れるゴルフ場だ。その点において、過去29回の全英オープン開催を誇るセントアンドリュースと双璧をなす聖地、との呼び声も高い。
1994年から2000年までの7年間、アメリカに住んでいた。前半はニューヨーク、後半はフロリダ州オーランドだった。ぺブルビーチに行くには、サンフランシスコまで片道5時間以上のフライトで、“近くない”という意味では日本から行くのと気分的に大して変わらないし、さらにそこから車で2時間以上かかるから、やはり決して気軽なアクセスではなかった。
<< 下に続く >>
それでも、ニューヨーク在住時は大学院の学生仲間と、オーランド在住時は会社の同僚と、かなり具体的に計画を練った。当時は若く、好奇心、エネルギー、時間いずれも十分にあった。金はなかったが、アメリカでのゴルフは日本に比べるとはるかに安く、いるうちにやらねば損だという思いを持っていたからだ。
当時、ぺブルのプレーフィーは250ドルだった。ただしリゾート内のホテルに1泊する必要はあったが、そのレートは閑散期であれば100ドル程度。これにフライト、レンタカーが加わるが、それでも総額1000ドル前後でやりくり出来たのだ。1990年代もドル円の振れ幅が大きかった時代だが、1995年には78円まで円高が進んだ。つまり、北米大陸を横断してぺブルでゴルフをする費用は10万円以下だったということで、「東京から軽井沢に泊まりがけでゴルフ場に行くのより安いじゃん」と思ったものだ。
アメリカに住んでみて痛感したことだが、当時の日本のゴルフ環境は、実に高く、劣悪だった。プレーフィーだけで3万円以上。それでも予約が取れただけで有難く思え、とばかりに、コースはすし詰めで前半3時間+メシ2時間+後半3時間を要した。現在よりもはるかに道路事情も悪く、もうへとへとだ。
ただし、鳥観図的な視点に立てば、日本は当時、相対的に世界一、二の富裕国家だった。山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという試算がなされたバブル時代の余韻が残っており、ぺブルビーチも日本の会社が所有していた。1990年にコスモ・ワールドという不動産会社が1300億円で買収し、その後、太平洋クラブに売却譲渡された。再びアメリカ人の手に戻ったのは1999年。アーノルド・パーマーとクリント・イーストウッドを前面に立てた投資グループが、ナショナル・ブランドをアメリカ人の手に取り戻そうという運動を展開した末だった。
あれこれ振り返りながら書いてきたが、結局は行かなかったのだから、現在の後悔は本当に深い。ちなみに、ぺブルビーチの現在のプレーフィーは550ドルで、プレーするためには閑散期でも1泊1000ドル以上かかるホテルに2泊以上しなければならないという。ITと金融で息を吹き返したアメリカの物価が当時の3倍近くに上昇し、日本はデフレで物価はむしろ下落した。コスモ社は破産、太平洋クラブも倒産を経て現在はマルハンの傘下にある。嗚呼、ぺブルは遠くなりにけり。(小林至・江戸川大学教授)
- 小林至(こばやし・いたる)
- 1968年生まれ。江戸川大学教授を経て、2020年4月から桜美林大学(健康福祉学群)教授。92年、千葉ロッテにドラフト8位で入団。史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。93年退団。翌年からアメリカに在住し、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)取得。2002年から江戸川大学助教授となり、05年から14年まで福岡ソフトバンク球団取締役を兼任。「パシフィックリーグマーケティング」の立ち上げなどに尽力。近著に『スポーツの経済学』(PHP)など著書多数。