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<第10回プロゴルフ殿堂>井上清次、日蔭温子、倉本昌弘が顕彰者に選出

一般財団法人日本プロゴルフ殿堂は25日、都内で第10回の日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者を発表した。

男子ツアー制施行前の1972年以前に活躍したレジェンド部門では、52年「日本プロ」で優勝し、2018年にゴルフ殿堂入りを果たした森口祐子を育てるなどした井上清次が選出。1973年以降で功績を残したプレーヤー部門では、ツアー通算18勝の日蔭温子、22年まで日本プロゴルフ協会会長を務め、シニアツアーで2度賞金王に輝いた倉本昌弘の2人が選出された。

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発表の場に出席した日本プロゴルフ殿堂の松井功理事長は、今後は表彰対象をプレーヤーに限らず、コース設計者などを含めて見直していく考えも示した。「より数多くのかたを表彰していきたい」と話した。

顕彰式典は3月8日(金)に、横浜市のパシフィコ横浜で行われるジャパンゴルフフェア会場で行われる。

各顕彰者の略歴は以下の通り。
*カッコ内は生年月日、年齢、出身地

井上清次(1915年9月16日-92年5月9日、神奈川県)

1935年にプロとなり、42年の「関東プロ」で初優勝。戦後は51年にホームコースの相模CCで開催された「関東プロ」決勝で中村寅吉を破って優勝。翌年には同コース開催の「日本プロ」で勝ち進み、決勝で陳清水を下してタイトルを手にした。その後岐阜カンツリー倶楽部に移籍し、64年開場の岐阜関カントリー倶楽部には造成時から関わった。岐阜関CCでは長男の幸一や、永久シードの森口祐子ら多くのプロを育てた。

日蔭温子(1954年4月23日、69歳、岩手県)

1974年、20歳でプロテストに合格。80年「ヤクルトミルミルレディース」で初優勝。82年には米女子ツアーの予選会をクリアして5年間、春先を中心に米国でプレーして最高位は4位だった。日本に専念した87年は6勝を挙げ、賞金女王争いの末に2位。1990年代には、現役プレーヤーでありながら大学の客員教授や非常勤講師としてゴルフの授業を受け持つなど、異色の二刀流としても注目された。

倉本昌弘(1955年9月9日、68歳、広島県)

日本大学時代は「日本学生選手権」4連覇を達成。「日本アマ」では3勝を挙げ、1980年の「中四国オープン」をアマチュアで制した。81年にプロ入り。82年「全英オープン」での4位は、今なお日本人選手歴代最高順位として残っている。同年「日本プロ」では初出場で優勝の快挙を達成。92年にはプロ入り後25勝に到達して永久シードを獲得した。2003年「アコムインターナショナル」初日には、国内ツアー競技初の「59」をマーク。同大会で通算30勝目を手にした。国内シニアツアーでは2度の賞金王に輝くなど通算8勝。プレー以外でも、日本ゴルフツアー機構設立に携わり、日本プロゴルフ協会会長を約8年務めた。

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