<こちらの44歳もまだまだ元気・・・! 桑原克典の生きる道>
2000年 東建コーポレーションカップ
期間:03/09〜03/12 場所:祁答院GC(鹿児島)
西川哲がトップに並んだ!
久しぶりに上位に名前を見る。95年の日経カップ優勝以来、不振をかこっていた西川哲。5バーディ、ノーボギーでトーナメントリーダーだ。もう一人、芹沢、川岸が後退する中、パープレーで踏みとどまった桑原克典も首位キープ。
西川哲は95年、その日経カップ勝利の年に左手親指を痛めた。骨膜炎。その指をかばっているうちに肩と首に負担がかかり、バックスウィングが上がらなくなった。もちろん病院にも通ったし、ありとあらゆる治療をほどこした。しかし効果がなかった。ゴルフができないわけではない。しかし練習はほとんどできない日々が続いた。
「半分諦めモードに入っていたんです。今年も練習は1回しかやっていません。ゴルフそのものを諦めなくちゃいけないのかな、という感じでした」
雨のせいか今日はコースが長く感じられた。ほとんどがパーオン。ロングホールの2オンもない。「でも1メートル、2メートルがよく入ってくれましたね。ふだん、ほとんど入らないんですが・・・」
風邪をひいている。体調は悪い。しかしいつもなら3本は持ってくるパターを今週は1本に絞った。そのパターが信頼にこたえてくれた。
「テレビのワイドショーを見ると、昔の自分の結婚式のときの姿が映し出されることがある。太っていて醜い・・と思いました。こりゃいかんな・・と」
走った。最初のうちは1時間走った。効果がでないので、そのうち2時間のマラソンにした。3カ月たって、ようやく体重が落ちはじめた。結局、最盛期より10キロは落とした。
「今週も目標は予選通過に置いていました。こんな最終日最終組でまわるなんて一生ないだろうと思っていました。ですから明日のこともなんかピンとこないんです」
この前予選に通ったのは確か去年のKBCだったという。試合そのものも7~8試合しか出場できなかった。その前の予選通過は? と聞かれると自分でもよく覚えていない。明日、もう1日、5年前のプレーができるかどうか。過去ツアー3勝、西川の復活はあと1日にかかっている。
桑原克典は前半で3つ落とした。しかし後半14番からとりもどしてのパープレー。「今週はずっとスコアにこだわってプレーしてました。明日もこだわります。最後は勝負になりますから。最後に勝てるように、それを意識して頑張ります」