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進化し続けるスピースを偉大なプレーヤーと比較

アーノルド・パーマー/21歳の誕生日は1950年9月10日

アーノルド・パーマーがプロに転向したのは、25歳だった1955年。それ以前は大半の時間をウェイクフォレスト大で過ごした。1950年まで同大に籍を置いたパーマーは、53年まで沿岸警備隊として働き、その後ウェイクフォレスト大に復学。1954年にはデトロイトのカントリークラブで行なわれた「全米アマチュア選手権」で優勝した。

21歳の誕生日前に残した実績としては、1948年の「グレーター・グリーンズボロ・オープン」でのPGAツアーデビュー(予選落ち)。翌年には初めてPGAツアーの大会(ダッパーダン・オープン)で予選を通過すると、54位という成績を残した。同年、ウェイクフォレスト大で「南カンファレンス選手権」優勝を果たし、著名な大会として知られる「ノース・アンド・サウス・アマチュア選手権」では準決勝に進出した。

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プロ転向後は1955年の「カナディアン・オープン」で初優勝を飾り、現役引退までにPGAツアー62勝を記録した。

ベン・ホーガン 21歳の誕生日/1933年8月13日

高校3年生の時に中途退学したベン・ホーガンは、1930年1月、弱冠17歳でプロデビューを果たした。しかし、PGAツアー初優勝は、それから8年後の1938年まで待つことになる。21歳になる前までのキャリア序盤時期は、11歳から働いていたというテキサス州のグレンガーデンカントリークラブでキャディを務めた。1927年にはキャディの大会で、同僚だったバイロン・ネルソンに1打差で敗れたとか。

キャリア序盤には2度も無一文になった経験もあり、1938年の「オークランドオープン」で2位となって賞金380ドルを稼ぎ、なんとかキャリアを続けられた。その当時フックの悪癖に悩まされていたホーガンは、その後スイングの秘訣を発見。これによりパワーが衰えた後も活躍を続けられ、PGAツアーで55勝、メジャーでも9勝を挙げた。

サム・スニード 21歳の誕生日/1933年5月27日

PGAツアー歴代最多となる82勝を挙げただけではなく、サム・スニードは当時、アスリートの原型と呼ばれていた。当時の逸話として、スニードが立った状態でドアのてっぺん部分まで足を上げられたという話も残っている。

ヴァージニア州のアシュウッドで生まれ育ったスニードは、高校時代にバスケットボールでセンター、アメリカンフットボールではハーフバック、野球では投手と外野手としてプレーしていたという。そんな彼は、7歳からホットスプリングス近郊にあるザ・ホームステッドでキャディとして働き始めると、木の枝で作ったゴルフクラブでゴルフを独学で始めた。

21歳になると、ザ・ホームステッドのアシスタントに昇格し、2年勤めた。それから1年後にプロ転向を果たすと、3年以内にPGAツアー出場権を獲得。プロ初勝利となった1936年の「ウェストバージニア・クローズドプロ選手権」を含め、現役引退までに82勝を挙げた。

ボビー・ジョーンズ 21歳の誕生日/1923年3月17日

ボビー・ジョーンズは、21歳の時に出場した1923年にニューヨークのインウッドカントリークラブで開催された「全米オープン」で、ボビー・クルックシャンクとのプレーオフを制し優勝した。ゴルフ史上最高のアマチュア選手と評されるジョーンズにとって、初のメジャー優勝だった。その年の「全米オープン」優勝に始まり、現役を引退した1930年にメリオンで開催された「全米アマチュア選手権」で優勝するまでの間、ジョーンズは20大会で13勝という驚異的な数字を残した。

球聖とまで呼ばれたジョーンズは、1916年にメリオンで開催された「全米アマチュア選手権」で、初出場ながらも準々決勝進出を果たした。当時アメリカンゴルファーという雑誌のグラントランド・ライス記者が、「14歳ながらも実力は全米トップクラスであると証明した」、「14歳とはいえ、少年ジョーンズは王者に必要な要素であるフォーム、スタイル、物腰、真の力、スタミナ、知能、勇敢な心を持ち合わせている」と絶賛したほど。

小太りな少年は、メリオンでの準々決勝で、1909年と1915年の「全米アマチュア選手権」で優勝したロバート・A・ガードナーに敗れた。

その才能に見初められたゴルフイラストレーテッドのジョン・G・アンダーソン記者は、アマチュア選手権に初めて出場したジョーンズを、こう称賛している。

「マスター・ジョーンズはギャラリーに見せたプレーを恥じる必要はない。彼の実力は確かなもので、プロの中でもベストと言える。プレッシャーを感じる場面から挽回し、逆境にも負けず、恐れずパッティングに挑み、5番アイアンでの素晴らしいショット、そして彼のキャリアの中でも素晴らしいドライバーショットが見られた。彼は今後数年の内に、必ずや全米を代表する選手となるだろう」。

ウォルター・へーゲン 21歳の誕生日/1913年12月21日

ニクラス、ウッズに次いで史上3位となるメジャー勝利数を誇るへーゲン。彼にとって初めてのメジャー優勝は、1914年の「全米オープン」で、当時21歳だった。それから現役引退までの間に「全米オープン」1勝を追加し、「全英オープン」4勝、「全米プロゴルフ選手権」5勝を挙げ、メジャー通算11勝を記録。

世界初フルタイムのツアープロとなったへーゲンは、その派手なスタイルで一世を風靡し、世界ゴルフ殿堂に残されている紹介文には、「ゴルフ史上最高のショーマンであり、王子のように気高く、大衆とゴルファー達をも魅了した」と書かれている。その美貌からエキシビジョンゲームでプレーする機会も多く、大会での賞金以外でも大金を稼いだ。

そんなへーゲンは、かつてこんな言葉を残した。

「短期間しか滞在しないのだから、焦らず、心配する必要はない。それよりも、道に咲き誇る花々の香りを味わうべきだ」。

情報提供:PGA TOUR

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