<佐渡充高の選手名鑑 122>ケビン・スタドラー
2014年 フェデックス セントジュードクラシック
期間:06/05〜06/08 場所:TPCサウスウィンド(テネシー州)
「全米オープン」の予選は非常にユニークな経験
2014/06/04 15:25
メジャー大会優勝者と、スターにあって感激した大学の一年生、そして米国ツアー優勝に返り咲いた選手、この3名に共通しているものは何か?そう、彼らはメンフィスで月曜に行われた地区予選を突破し、「全米オープン」への参加が決まった選手達なのだ。
月曜に全米各地10箇所で開催された「全米オープン」予選大会、雰囲気は非常にカジュアルなスプリングキャンプのようだが、試合の報償(出場権)はビックだ。この大会で注目すべき点はまさにこれで、文字通りに、そして比喩的にも、選手はそれに刺激されて、地区予選を最後まで頑張るのだ。予選では技術と強さが試される。選手達は、6月の暑さの中で一日に2ラウンドを歩き続け、今年2つ目のメジャー大会出場の切符をかけて、ラストチャンスを掴もうと必死なのだ。
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テネシー州コードバにあるコロニアル・カントリークラブでパインハーストNo.2への出場権を得られるのはたったの13名だ。この会場は、今週「フェデックス・セントジュードクラシック」が開催されるTPCサウスウィンドから、約12マイルのところに位置している。
「全米プロゴルフ選手権」優勝経験者のデビット・トムズはこの13名の中に入った。そして先週NCAA選手権でチームを優勝に導き、アラバマの大学1年生(フレッシュマン)としてのシーズンを終わらせたばかりのロビー・シェルトンも同様だ。彼は最近、全米トップのフレッシュマンに贈られる「フィル・ミケルソン賞」を受賞したが、米国ツアーの選手の一人としてはまだまだ不安なところがある。
「全米アマチュア選手権」と米国ツアー大会で過去に優勝経験を持つデビット・ゴセットも参加資格を獲得した。35才の彼は暫くの間ツアーでの活躍を見せていないが、今回、「全米オープン」への出場権を獲得したことで、米国ツアーへ返り咲く道筋を作りたいと願っている。J.B.ホームズも同様に参加が決まった。彼は数週間前に「ウェルズファーゴ選手権」で優勝したばかりだ。
地区予選で見事勝利を収めた選手達は、最も辛い試練への参加権利を得るのである。2007年にミルウォーキーで開催された「U.Sバンク選手権」で米国ツアー勝利を飾ったジョー・オギルビーは、予選後にこう述べていた。「気分が良かったよ。けれどそのすぐ後で、僕は4日間、袋たたきにされるんだって気がついたね」
地区予選の参加者は幅広く、アマチュアの選手もいれば、長年プレーヤーとしてではなくプロショップ店員として生計を立ててきた選手まで、様々だ。短パン姿は認められているというより、望ましいとされている。ここでキャディ達は、最大許容量ギリギリの大きいバッグを担いではいない。地元のゴルフクラブ等で見かける通常サイズのバッグを持っているのだ。
通常観客用に張られるロープもスタンドもない。小さいテントの下に置かれたスコアリングエリアはロープで区切られているが、それ以外に立ち入り禁止区域はない。参加選手達はクラブ大会のような古臭さを感じる。テレビカメラや電光掲示板もない。その代わりに手書きのスコア表がプロショップ横のレンガに掛けられているだけだ。
メンバーは(ビールを片手に持った人もいるが)、皆選手達が試合を終えていくのを見る為に18番ホールまわりに集まる。そのほかボールを打っていたら、元ツアー優勝選手がフェアウェイを横切って歩いていくのを見かけたとか、若い男の子がパットの練習をしていると、テレビで見かけたことのある選手がそこを横切っていったなど・・・。
「どこの誰でも地元の大会を通過して、地区予選を通過できれば『全米オープン』に参加できる。このプロセスが大好きだよ」と「全米オープン」参加選手スコット・ラングレーは述べた。彼は2010年のペブルビーチで、ラッセル・ヘンリーと並び、16位タイでローアマチュアを獲得。「素晴らしいことだね。本物のアメリカゴルフを反映しているよ。どこから来たか分からない無名選手が、毎年素晴らしい物語を生み出すんだからね」と続けた。
ラングレーが地区予選に参加したのは、「ザ・メモリアルトーナメント」で、バッバ・ワトソンと共に最終組でプレーをした翌日のことだった。当然のことながら、雰囲気に圧倒されたラングレーは、日曜日のスコアを「79」とした。そこからプライベートフライトでオハイオからテネシーへ飛び、午後8時30分頃に到着した。彼は最後の2枠のチャンスの内1つを、プレーオフで逃してしまったため、月曜は1番目の補欠要員となった。
ゴセットはタイガー・ウッズにならって、最初の「ヤングガン」の一人だった。1999年に全米アマチュアで優勝し、そこから2年以内に「ジョンディアクラシック」で優勝、当時彼は22才だった。現在、彼は35才。結婚し3人の子宝に恵まれている。彼が最後に米国ツアーでプレーをしていたのは2004年だったが、そこから調子をあげることはなかった。
「混乱してしまったんだ」とゴセット。
彼は約5年前にチャンク・クックと組み始めてから、徐々に前進していたが、未だ「精神的な傷」が残っており、克服しなければならなかった。テネシーでの予選で、彼は両親と過ごす時間を持て、幼少期に使用していたベッドで眠りにつくことができた。彼は昨年、ウェブドットコムツアーで11試合をプレーし、予選通過できたのはたった3試合だった為、1万ドルの賞金しか貰っていなかった。「ジョンディアクラシック」で優勝したことからかれは米国ツアーメンバーではあるが、今週まで見積もっても、「フェデックス・セントジュードクラシック」で約54度目の補欠要員だった。
「米国ツアーで返り咲くことを夢に見て、追いかけているんだ」とゴセット。「まずはその道を見つけなきゃいけない」と続けた。
マガートは米国ツアーキャリアの中で19ミリオンドルを獲得したが、彼が月曜に36ホール共にプレーをした選手達は、獲得賞金を足しても0ドルの2人だった。アマチュアの2人、最近アラバマ大学を卒業した、トレイ・マリナックスと、今年高校を卒業したオースティン・ローズだった。2人の年齢を足してもマガートの年齢、50才に満たないのだ。彼は今年初めのチャンピオンズツアーで優勝したが、今回スコアを「63」と「72」でまわり、16回目の「全米オープン」への出場権を獲得した。彼が前回出場したのはパインハーストNo.2で開催された2005年大会で、結果は78位タイだった。
「僕の年齢で打ち込むのは難しいけれど、それも楽しいんだよ」と予選を通過したマガートは述べた。彼は過去に「全米オープン」で7度のトップ10入りを果たしている。
彼は月曜の午後のラウンドで、9番フェアウェイがあくのを待っていた時のこと。彼は名誉ある選手にも関わらず、パートナーが炎天下の下プレーをしている間、ティから約30ヤード程離れた木陰にいた。マガートはテネシーの暑い日差しを避けるために、できるだけ木陰を選んで歩いていた。
長い1日だったが、特に成功した選手達にとっては、価値のある一日だった。
「僕が年をとったら、ここには来ないだろうね。今日は10時間も回ったからね」とトムは述べた。