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タイトリストは約18億をかけて「ProV1」で勝負にでた!

Pro V1というボールがデビューしてからまだ一年にもならないが、タイトリスト社幹部はラスベガスでのインベンシス・クラシックで登場させてから数週間のうちに、このボールの導入はうまくいったと感じていた。アクシネット社ジョージ・シン氏(George Sine:ゴルフボール・マーケティングおよび世界戦略担当副社長)は言う。

「あのラスベガスでの試合以降、一気に認知度が上がっていきました。新製品を出すときには願ってもない展開でした」

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優勝したビリー・アンドレードをはじめトップテン入りプレイヤーの6人が使っていたということもあって、Pro V1はまたたくまに成功を収めたとはいえるが、ありがたいとばかり言ってはいられなかった。一般市場投入は2001年3月の予定であり、わずか5か月しかないという状況で生産を間に合わせなければならなかったのである。当時の在庫は一ヶ月分にも満たないわずか一千ダース。12月にはサンベルト市場(ヴァージニアからカリフォルニアまでの南部諸州)で数量を限定して出荷することになっていたので、タイトリスト社としては、まだPro V1が本格的に成功するかどうかが定かではない時点で、1,500万ドル(約18億4,000万円)を投じて糸巻きボールの生産設備を大々的に転換して行かなくてはならなかったのである。いまやその新たな生産ラインは整備されフル稼働しているが、ビジネスとしては奇蹟といってもおかしくはないと考えるアナリストもいるほどのことだった。

「からだがこわばって、気がつくと口が渇いてくるような日々が何日も続いていましたよ、あまりに心配で。賭けだったわけです。ボール市場というきわめて重要な分野で、そのときの自分たちをすべて捨て去るという道を選んだのですから」

タイトリストの親会社アクシネットのCEO、ウォーリー・ユーレイン(Wally Uihlein)氏はそう語る。

タイトリストの幹部はいまになってようやく、Pro V1をデビューさせたあとの対応や工場の一大転換についてゴルフウィーク誌に語ったのだった。一年前、幹部たちはあまり口を開こうとしなかった。2000年5月にタイガー・ウッズがボールをナイキのツアー・アキュラシーに替えて以来、ボール市場におけるタイトリストの長年にわたる支配が危機的状況にあることを指摘する声はにわかに高まっていったが、彼らはただ黙って仕事を進めているばかりだった。糸巻きでリキッドセンターのタイトリスト・プロフェッショナルを使っていたウッズが、ソリッドコアのナイキに替えてからというもの、プレイヤーたちはフィーリングをあきらめることなく飛距離を伸ばせる非糸巻きボールにこぞってシフトしていった。当時、タイトリストの契約プロやトップレベルのアマチュアが使っていたのはプロフェッショナルやツアー・プレステージという糸巻きボール。タイトリストはボールの売り上げの45%を糸巻きから得ていたのであり、プロたちがソリッド・ボールへシフトし始めたことは一大事だった。

「あのときは確信していたんですがね。去年の暮れの時点で、私としてはタイトリストは最も危険なボールメーカーだと考えていました。とにかく、ゴルフ界の動きのなかで、タイトリストは高級糸巻きボールで商売していましたから」

NY ギルフォード証券の特殊状況アナリスト(special situations analyst)であるケーシー・アレキサンダー(Casey Alexander)氏は自分がまったく間違っていたことをほぼ一年後に認めている。

「私の知る限りでは、タイトリストはビジネス界の奇蹟をやってのけましたね。激しい競争の渦巻くボール市場で、シェアを維持するだけでなくて拡大したのですから。自社のボール製造工場のほぼ半分を全く違うものに転換し、しかもそれを驚くほど素早く効率的にやってのけた。そして、いままさに、ゴルフの世界で最もホットな製品を作っているわけです」

その製品とはもちろんPro V1であり、ハンディキャップを取得しているゴルファーなら知らない人はいないであろうボールである。大きなゴムのコア、内層のアイオノマー、そしてウレタンカバーが抜群の飛距離と感触をもたらす。タイトリスト契約プロのフィル・ミケルソンは「いままで作り出されたものの中で最高のボール」と絶賛した。そして、契約しているプロのみならず、契約をしていないプレイヤーまでもが殺到して使い始めたのだった。Pro V1を池に打ち込んでしまった週末ゴルファーたちは、飛び込んで探しに行った。クラブプロはタイトリストの営業担当者に納品をしつこくせがんでは、まるで闇市場に出回るダイアモンドのようにPro V1のパッケージをしまい込んでおいて、ケチケチと小出しにしながらメンバーに売っていた。そんな状況が続き、タイトリスト幹部によれば、販売開始からわずか7か月しか経っていない今年6月のシェアが、コース売店と町の小売店の販売実績で10.5%という驚異的な数字を記録している。

どうやってここまでうまくやってのけたのだろうか。それは簡単なことではなかった。安くすんだわけでもないし、一晩でできたことでもない。ユーレイン氏は言う。

「Pro V1のプロトタイプづくりに取り組んだのは90年代の半ば。プロフェッショナルIIと呼んでいたボールを契約プロの何人かに打ってもらいました。それはプロフェッショナルと同じくウレタンカバーですがソリッドコア。しかし、市場に出すには不十分であると考えました」

それでもタイトリストは開発を継続し、1997年、のちにPro V1となるボールの特許を取得する。まだ無名のボールの開発は、2000年にオーランドで開催されたPGAマーチャンダイズ・ショーまで、かなり堅実なペースで続けられた。

「しかし事情はにわかに変わり始めたのです。PGAショーで他のメーカーがどう出るか、我々の製品はどの程度のものかを見極めてからにしようと決めていたのですが、他社のボールを見て急がざるを得なくなりました」

匿名を希望するあるメーカーの幹部によると、タイトリストはキャロウエイのルール35という新製品にかなり関心をもち、それに優る何かを早急に探るように研究開発担当者に命じたという。

2000年の6月、ウッズが公式にボールをナイキのツアー・アキュラシーに替えた直後のことだが、タイトリストは「100人の行進」と呼ぶテストを実施。最新のボールを100人以上のツアープレイヤーが試用し、タイトリストの他の製品や他社のボールと比較した。

「2か月にわたって行われました。フィル・ミケルソンがいわば私たちのチャック・イエーガー、テストパイロットのリーダーでした。結果として、80%から90%が実際のプレイで使ってもいいと答えてくれました。それで、私たちはGO(ゴー)を出す準備ができました」

その段階で、ボールはPro V1と命名された。Pro V1はアクシネット社ゴルフボール研究開発担当上級副社長のビル・モーガン(Bill Morgan)氏が付けた新製品のコードネームに他ならない。モーガン氏は言う。

「USGAの公認球登録を受けるために名前が必要でしたからね。どんな名前でもよかったんです」

次はトーナメントで使ってもらうことだった。去年10月のラスベガスでのインベンシス・クラシックがその舞台となる。フィールドのおよそ3分の1にあたる47名のツアープレイヤーがその新しいPro V1を使用し、トーナメントの終わる頃には出場プレイヤー全員がPro V1について話をしていたのだった。その翌週のトーナメントではさらに多くのプロたちが使うようになり、続々とPro V1使用者は増えていった。メディアはすぐにそのありさまを伝え、そして一般ゴルファーに火がついたのである。誰もが、その新しいボールを手に入れなければならないかのような様相だった。モーガン氏が気まぐれのごとく命名したコードネームは、こうしてゴルフ界で最も認知度の高いボールの一つとなった。ラスベガスのデビュー戦から間もない頃、タイトリストはほんの数週間でその名をとどろかせたPro V1という名前をそのまま継続する決定をした。評判を呼ぶ一方で、生産能力からくる出荷量の問題が生じた。当初、タイトリストではプロフェッショナルに代えてPro V1をおき、ツアー・プレステージとツアー・バラタという体制で、概算で年間350万から400万ダースのウレタンカバー・ボールを継続生産する予定だった。それはマサチューセッツ州アクシネットに7つある同社の製造工場の第一ボール・プラントが担うことになっていた。モーガン氏は語る。

「4月か5月にプロトタイプのボールをいくらかつくっていました。2000年夏には工場一つをPro V1専用に当てることを決定していました」

ラスベガスでのデビュー当時、タイトリストには約4週間分の在庫である1,000ダース分しかないと、ユーレイン氏は言っていた。

「そうなんです。当初は3月販売開始の予定で、それなら製造能力をやりくりする時間的な余裕は十分あったのですが」

しかし、消費者の反応はタイトリストに余裕を与えず、会社としてはあわてふためいて、ウレタンカバー工場をPro V1製造拠点に転換したのである。(Pro V1のカバーはプロフェッショナルやプレスティージよりも薄く、素材も若干、異なっている。)さらにタイトリスト社はツアー・プレステージとツアー・バラタの製造を終了し、プロフェッショナルの製造も縮小すると発表。そしてすぐに製造工場を増やし、2001年半ばまでに12工場が稼働、2002年にはさらに増やすことを計画している。ユーレイン氏は言う。

「私たちは自社のウレタンカバー・ボール製造設備を100%転換しただけではなく、ほかの自社ボール、さらには他社ボールのシェアも奪ったのです。それが生産量増加の理由です」

公式発表ではウレタンカバーのボールの年間生産量は500万ダースで、そのうち95%がPro V1となっている。さらに2002年のはじめには600万ダースとなるよう、いま製造能力の拡充が図られている。

「通常なら6か月かかるところを2か月で成し遂げました。でも、私たちには選択の余地はなかったのです」

シン氏はそう語る。相当なストレスがあったことだろうことは、想像に難くない。ユーレイン氏も語る。

「それは私たちにはこのボールに対してかなり自信がありました。ツアープロたちからの熱狂的な支持があったわけですから。しかし、かなりの挑戦でしたし、短期間でやらなくてはいけないということ、とくに需要に見合うように製造能力を高めることについては前例がありませんでした。ゴルフボール分野での史上最大規模のパラダイム・シフトだったのではないでしょうか。私がこれまで見てきた中でも、あらゆる製品を含めてもっとも集中的、かつ加速的なものだったのではないかと思います」

かなりの自慢話には違いない。しかし、 Pro V1 に関してはラスベガス以来、誰もが同じような言い方をしている。このボールはかなり飛んでいる。評判に違わず、短期間のうちに。By JOHN STEINBREDER(GW)

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